2018年6月29日金曜日

「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯 城山三郎」を読む。 私は大原孫三郎についてはどういう方か知りませんでした。この本を読み勉強になりました。 ○ 大原孫三郎(1880~1943)は倉敷の大地主の家に生まれたため、一代で家を興した人物ではない。 学生時代は放蕩生活を送り現在の金額にして1億円に及ぶ借金を負うなどいかにもお坊ちゃんといった面もある。キリスト教に入信する。 ○ ただこの人物のすごいところは、自己の恵まれた財力を社会に貢献するという信念の元に惜しげもなく注ぎ込んだところにある。 ○ 大原美術館を創立し一流の西洋美術を展示した功績は大きい。 そのお陰で倉敷の市街が第二次世界大戦の爆撃から避けられた偉大な功績がある。 ○20代の若さで石井十次という人物と出会い孤児院の設立に力を尽くしたことに始まり、より良い社会を作りたいという思いから大原社会問題研究所を、農業技術の振興のために農業研究所をと、次々と研究所を立ち上げ、更には才能ありと見込んだ画家の児島虎次郎に西洋美術品の収集を行わせるといった形で、「金持ちの道楽」と言われながらも「わしの眼は十年先が見える」と自分の信念に基づいて反対を押し切り、金を注ぎ込んでいく。 ○ ただの金持ちの道楽であれば金を使い果たして終わりになると思うが、その一方で父から引き継いだ地方紡績会社を日本で有数の会社に育て上げたという経営手腕も見事である。 それも従業員の生活向上のために寄宿舎を新設、賃上げ、従業員教育の拡充といった、孫三郎らしい革新的な会社経営を実践しながらである。この孫三郎の精神は息子の大原 總一郎にも引き継がれて企業の「社会的責任」の先駆者的な役割を果たしていくことになる。

「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯 城山三郎」を読む。
私は大原孫三郎についてはどういう方か知りませんでした。この本を読み勉強になりました。
○ 大原孫三郎(1880~1943)は倉敷の大地主の家に生まれたため、一代で家を興した人物ではない。
学生時代は放蕩生活を送り現在の金額にして1億円に及ぶ借金を負うなどいかにもお坊ちゃんといった面もある。キリスト教に入信する。
○ ただこの人物のすごいところは、自己の恵まれた財力を社会に貢献するという信念の元に惜しげもなく注ぎ込んだところにある。
○ 大原美術館を創立し一流の西洋美術を展示した功績は大きい。
そのお陰で倉敷の市街が第二次世界大戦の爆撃から避けられた偉大な功績がある。
○20代の若さで石井十次という人物と出会い孤児院の設立に力を尽くしたことに始まり、より良い社会を作りたいという思いから大原社会問題研究所を、農業技術の振興のために農業研究所をと、次々と研究所を立ち上げ、更には才能ありと見込んだ画家の児島虎次郎に西洋美術品の収集を行わせるといった形で、「金持ちの道楽」と言われながらも「わしの眼は十年先が見える」と自分の信念に基づいて反対を押し切り、金を注ぎ込んでいく。
○ ただの金持ちの道楽であれば金を使い果たして終わりになると思うが、その一方で父から引き継いだ地方紡績会社を日本で有数の会社に育て上げたという経営手腕も見事である。
それも従業員の生活向上のために寄宿舎を新設、賃上げ、従業員教育の拡充といった、孫三郎らしい革新的な会社経営を実践しながらである。この孫三郎の精神は息子の大原 總一郎にも引き継がれて企業の「社会的責任」の先駆者的な役割を果たしていくことになる。

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