7月8日NHK歴史秘話ヒストリア「そうだ天空の城に行こう。」を見る。
全国各地にある“天空の城”。その中で唯一、江戸時代の天守が残っているのが備中松山城(羽柴秀吉が水攻めした城とは別)だ。この城がなぜ今日まで生き延びてきたのか。興味が沸く。この城は『真田丸』のオープニング映像に登場している。
井上アナウンサーが備中松山城を訪ねた時は雨が降っていたが、上から見ると山頂部分を残してまさに雲の中で、まるで雲の上に浮かんでいた。備中松山城はまさに“天空の城”だ。
井上アナウンサーがお城までは険しい山道を登って行った。本当によくこんなところにお城を建てられたものだと思った。一体どれほどの労力をかけて建てられたお城なんだろうかと。城を攻める側を途中でくじけさせる天然の要塞としての実力を思い知った。
その攻略の難しさが、備中松山城が生き残った要因のひとつでもあります。江戸時代の太平の世に城が欲しかったお殿様「水谷(みずのや)勝宗」が、1683年壊れかけた備中松山城を壊さずに再建する。何故存続したかそれは地理的に廃城にしにくかったからとも言われている。この時の大改修で誕生したのが現在まで守りつがれてきた天守だ。
時はすぎ、明治の廃城令(1873)以来、放置され荒れ放題となっていた備中松山城を再建させたのは、戦前の若者たちだった。当時、旧制高梁中学校の学生たちが麓から歩いて、重い瓦を運んだ。その数なんと2万枚。こうした地元の人々の思いが、天空の城を現在まで存続させた。
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