「カクレキリシタン 宮崎賢太郎」を読む。
○ 著者によれば、「カクレキリシタン」とは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫であり、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持し続けている人々を指す。
オラショや儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。
○ 現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければカトリックのキリスト教徒でもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶け込んだ、典型的な日本の民族宗教のひとつである。
つまり、典型的な日本の家では仏壇と神棚(すなわち、仏教と神道)が共存しているように、カクレキリシタンの家では、仏壇、神棚に加えキリシタンの祭壇があり、仏教、神道、キリシタン信仰が共存しているのである。
○ 生月島、平戸島、五島、長崎、外海の各地のカクレキリシタンの歴史と現在の状況が平易かつ丁寧に語られる。
地域間の連絡が無かったため、地域毎にその行事や組織は異なっている。良く知られるオラショは生月島を除くと、声に出して唱えられることは無い。
生月島の中でも詞や旋律は、地区によって異なっている。
○ キリシタン信仰には多くの制約があるため、近年はどの地域でも後継者が無く、解散する組織が急激に増えているという。カクレキリシタンはそう遠くない将来には消え去ることになるのだろう。
○ カクレキリシタンの歴史は、異文化の変容・土着化の過程や日本人の宗教観に興味を持つ人にとっても、非常に興味深いものである。
2018年5月25日金曜日
「カクレキリシタン 宮崎賢太郎」を読む。 ○ 著者によれば、「カクレキリシタン」とは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫であり、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持し続けている人々を指す。 オラショや儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。 ○ 現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければカトリックのキリスト教徒でもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶け込んだ、典型的な日本の民族宗教のひとつである。 つまり、典型的な日本の家では仏壇と神棚(すなわち、仏教と神道)が共存しているように、カクレキリシタンの家では、仏壇、神棚に加えキリシタンの祭壇があり、仏教、神道、キリシタン信仰が共存しているのである。 ○ 生月島、平戸島、五島、長崎、外海の各地のカクレキリシタンの歴史と現在の状況が平易かつ丁寧に語られる。 地域間の連絡が無かったため、地域毎にその行事や組織は異なっている。良く知られるオラショは生月島を除くと、声に出して唱えられることは無い。 生月島の中でも詞や旋律は、地区によって異なっている。 ○ キリシタン信仰には多くの制約があるため、近年はどの地域でも後継者が無く、解散する組織が急激に増えているという。カクレキリシタンはそう遠くない将来には消え去ることになるのだろう。 ○ カクレキリシタンの歴史は、異文化の変容・土着化の過程や日本人の宗教観に興味を持つ人にとっても、非常に興味深いものである。
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