「アドリブ自叙伝 野坂昭如」を読む。
○ 私は1945年3月13日のアメリカ軍のB29爆撃機の大阪大空襲で炎の中命からがら逃げた。多くの友人は焼け死んだので他人事と思えない。アメリカ軍は老若男女の非戦闘員を業火で殺戮したのだ。私は決して忘れられない。
○ 野坂昭如少年は養子先の神戸仲郷町から成徳小学校、市立一中に通い、戦況が次第に悪化し米軍機が頻繁に頭上を飛び交うようになり、遂に1945年6月5日の神戸大空襲に至った時期であり、神戸に起こった惨劇は日本の敗戦の縮図だった。
○ 野坂昭如少年は小柄で気が弱く意識過剰で肝心なところではよく失敗してしまう。勉強は組で2番目なので1学期には副委員長に選ばれるのだが指導力のなさを露呈してしまうので2学期からは無役になる。相撲が得意で相撲部の主将であったが得意とする引き技が軍国主義時代の進行とともに禁じ手のようになってしまい、相撲部にあっても野坂は主将らしい働きも出来ない。早くからメガネをかけなければならなくなった事は更に彼の弱気を助長させた。
○ 学校では人気もなく友達もいないので、遊び相手はいつまでたっても近所の年下の子供ばかり。たまに見栄を張って好きだった同級生の女の子の家に電話をかけてみたりしたが、戦時下では学校中の皆から白い目で見られる始末だ。
○ 敗戦後食べ物がなく妹を餓死させた事は、野坂昭如の一生の悔恨となる。
○ 野坂昭如は逃げ過ぎた自分を悔いている。同時にB29爆撃機の轟音が耳を圧した時のあらゆる理屈を超えた恐怖を語っている。14歳でその恐怖に晒された野坂はずっと後になってB29に再び対面するためにアメリカの戦争博物館を訪れた。年老いたパイロットが野坂昭如のためにB29を飛ばしてくれた。
○ 神戸を襲ったのは300機の大編隊だったが、いま野坂の目の前で飛んでいるのはたった1機だけのB29だが、あのあたりの空気をぴりぴりと震えさせたB29の恐怖を思い出させるには十分なものがあった。野坂昭如はこのB29を日本に持って帰って、日本のどこかにおいておきたいと思ったという。なすすべもなくB29の下で逃げまどった人々も次第に少なくなってきた。彼等がなめた恐怖と悲惨は決して忘れられてはならない。
2018年5月12日土曜日
「アドリブ自叙伝 野坂昭如」を読む。 ○ 私は1945年3月13日のアメリカ軍のB29爆撃機の大阪大空襲で炎の中命からがら逃げた。多くの友人は焼け死んだので他人事と思えない。アメリカ軍は老若男女の非戦闘員を業火で殺戮したのだ。私は決して忘れられない。 ○ 野坂昭如少年は養子先の神戸仲郷町から成徳小学校、市立一中に通い、戦況が次第に悪化し米軍機が頻繁に頭上を飛び交うようになり、遂に1945年6月5日の神戸大空襲に至った時期であり、神戸に起こった惨劇は日本の敗戦の縮図だった。 ○ 野坂昭如少年は小柄で気が弱く意識過剰で肝心なところではよく失敗してしまう。勉強は組で2番目なので1学期には副委員長に選ばれるのだが指導力のなさを露呈してしまうので2学期からは無役になる。相撲が得意で相撲部の主将であったが得意とする引き技が軍国主義時代の進行とともに禁じ手のようになってしまい、相撲部にあっても野坂は主将らしい働きも出来ない。早くからメガネをかけなければならなくなった事は更に彼の弱気を助長させた。 ○ 学校では人気もなく友達もいないので、遊び相手はいつまでたっても近所の年下の子供ばかり。たまに見栄を張って好きだった同級生の女の子の家に電話をかけてみたりしたが、戦時下では学校中の皆から白い目で見られる始末だ。 ○ 敗戦後食べ物がなく妹を餓死させた事は、野坂昭如の一生の悔恨となる。 ○ 野坂昭如は逃げ過ぎた自分を悔いている。同時にB29爆撃機の轟音が耳を圧した時のあらゆる理屈を超えた恐怖を語っている。14歳でその恐怖に晒された野坂はずっと後になってB29に再び対面するためにアメリカの戦争博物館を訪れた。年老いたパイロットが野坂昭如のためにB29を飛ばしてくれた。 ○ 神戸を襲ったのは300機の大編隊だったが、いま野坂の目の前で飛んでいるのはたった1機だけのB29だが、あのあたりの空気をぴりぴりと震えさせたB29の恐怖を思い出させるには十分なものがあった。野坂昭如はこのB29を日本に持って帰って、日本のどこかにおいておきたいと思ったという。なすすべもなくB29の下で逃げまどった人々も次第に少なくなってきた。彼等がなめた恐怖と悲惨は決して忘れられてはならない。
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