「仏像の誕生 高田修」を読む。
○ 古来仏教徒は、仏像が釈尊の生存中から既に造られていたと信じて疑わなかった。その理由は経典に書かれているのだ。しかし経典そのものが、釈尊没後約300年後に成立しているのである。
○ 今では仏教のあるところ,どこでも仏像崇拝が見られるが、釈尊の時代から数世紀のあいだ仏像が作られた形跡はない。
いつ、どこで、どのようにして仏像が作られ,崇拝されるようになったのだろうか。
ガンダーラ,マトゥラー両美術の検討をとおして仏像誕生の過程をさぐり,仏像の出現が美術史上,仏教史上にもつ意味を明らかにする.
○ 仏像はガンダーラ美術:ギリシア・ローマ系美術の強い影響を受けて発生、展開した。インドとしては全く異質な美術であった。
マトゥラー美術:インド固有の古い伝統的な手法による、純インド的な様式であった。
仏像の起源は、ガンダーラ起源かマトゥラー起源の並立にほかならない。
【無仏像の時代】
・釈迦の時代(BC5Cごろ)~AD2C前半
・仏塔(ストゥーパ)の造立と荘厳(装飾美化)を軸に展開した。
・この時代は主に仏塔を拝んでいた。
・釈迦は偉大で特別な存在、神以上の神であるから、普通の人間では具体化などできない、という考えから、仏像が造られなかった。
【ガンダーラ美術】
ガンダーラ:今のパキスタン、ペシャワール地域の辺りにあった国名・地域名である。
ガンダーラ美術:紀元1C~数世紀に栄えた。ギリシア・ローマ風の写実的な手法で、仏教の主題や思想を表現した。
・タキシラのシルカップ遺跡から多くの発掘品が発見された。
・この地(西北インド)に仏教が伝来したのはマウリヤ朝の第3代の王、アショーカ王(BC304~BC232)の時代である。
【マトゥラー美術】
マトゥラー:古代全期を通し、美術制作の一大中心地。デリーから南南西約145キロ。仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教など諸宗教の拠点。特に牧神クリシュナの伝説と信仰の中心地である。
・ガンダーラの影響がマトゥラー仏誕生の契機となった。
・マトゥラーで菩薩像が造られたのは、仏の像表現をタブーとしてきたマトゥラーの仏教徒が、仏像を受け入れるために考え出した、現実と妥協するための方便で、仏像は造りたいがタブー感がある。では仏の前世の姿の菩薩であればタブーを避けられるかもという発想だった。
2018年5月3日木曜日
「仏像の誕生 高田修」を読む。 ○ 古来仏教徒は、仏像が釈尊の生存中から既に造られていたと信じて疑わなかった。その理由は経典に書かれているのだ。しかし経典そのものが、釈尊没後約300年後に成立しているのである。 ○ 今では仏教のあるところ,どこでも仏像崇拝が見られるが、釈尊の時代から数世紀のあいだ仏像が作られた形跡はない。 いつ、どこで、どのようにして仏像が作られ,崇拝されるようになったのだろうか。 ガンダーラ,マトゥラー両美術の検討をとおして仏像誕生の過程をさぐり,仏像の出現が美術史上,仏教史上にもつ意味を明らかにする. ○ 仏像はガンダーラ美術:ギリシア・ローマ系美術の強い影響を受けて発生、展開した。インドとしては全く異質な美術であった。 マトゥラー美術:インド固有の古い伝統的な手法による、純インド的な様式であった。 仏像の起源は、ガンダーラ起源かマトゥラー起源の並立にほかならない。 【無仏像の時代】 ・釈迦の時代(BC5Cごろ)~AD2C前半 ・仏塔(ストゥーパ)の造立と荘厳(装飾美化)を軸に展開した。 ・この時代は主に仏塔を拝んでいた。 ・釈迦は偉大で特別な存在、神以上の神であるから、普通の人間では具体化などできない、という考えから、仏像が造られなかった。 【ガンダーラ美術】 ガンダーラ:今のパキスタン、ペシャワール地域の辺りにあった国名・地域名である。 ガンダーラ美術:紀元1C~数世紀に栄えた。ギリシア・ローマ風の写実的な手法で、仏教の主題や思想を表現した。 ・タキシラのシルカップ遺跡から多くの発掘品が発見された。 ・この地(西北インド)に仏教が伝来したのはマウリヤ朝の第3代の王、アショーカ王(BC304~BC232)の時代である。 【マトゥラー美術】 マトゥラー:古代全期を通し、美術制作の一大中心地。デリーから南南西約145キロ。仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教など諸宗教の拠点。特に牧神クリシュナの伝説と信仰の中心地である。 ・ガンダーラの影響がマトゥラー仏誕生の契機となった。 ・マトゥラーで菩薩像が造られたのは、仏の像表現をタブーとしてきたマトゥラーの仏教徒が、仏像を受け入れるために考え出した、現実と妥協するための方便で、仏像は造りたいがタブー感がある。では仏の前世の姿の菩薩であればタブーを避けられるかもという発想だった。
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