「古代日朝関係史入門 金達寿」を読む。
金達寿氏は、1919年に日本併合時の朝鮮に生まれ、1930年に日本に渡ってきて、戦後作家となり、その後『日本の中の朝鮮文化』で古代史に研鑽された。
○ 第1点は、「日本人が朝鮮人をどう考えようが、あるいは朝鮮人が日本人に対してどういう考えを持とうが、関係なしに、日本の古代史は古代朝鮮との関係史である。
○ 第2点は、「日本の古代文化、古代史というものは大和を中心に放射線状に考えられてきた。要するにこれは日本の古代国家、つまり、天皇制国家が確立されてから以後、常に万世一系の天皇を中心にしてものを見るという思想である。したがって、日本古代史というのは大和史、大和中心思想をもって今まで書かれてきたものなのである。
○ 日本古代史を考察するには古代朝鮮の動向も考慮する事が不可欠である。
○ 古代朝鮮の新羅、高句麗、百済の対立が日本国内の政状に深く関わった。
○ 日本には数多くの新羅神社、高句麗神社、百済神社が今も存在する。神道におけるる朝鮮半島の影響を知る事ができる。
2018年5月7日月曜日
「古代日朝関係史入門 金達寿」を読む。 金達寿氏は、1919年に日本併合時の朝鮮に生まれ、1930年に日本に渡ってきて、戦後作家となり、その後『日本の中の朝鮮文化』で古代史に研鑽された。 ○ 第1点は、「日本人が朝鮮人をどう考えようが、あるいは朝鮮人が日本人に対してどういう考えを持とうが、関係なしに、日本の古代史は古代朝鮮との関係史である。 ○ 第2点は、「日本の古代文化、古代史というものは大和を中心に放射線状に考えられてきた。要するにこれは日本の古代国家、つまり、天皇制国家が確立されてから以後、常に万世一系の天皇を中心にしてものを見るという思想である。したがって、日本古代史というのは大和史、大和中心思想をもって今まで書かれてきたものなのである。 ○ 日本古代史を考察するには古代朝鮮の動向も考慮する事が不可欠である。 ○ 古代朝鮮の新羅、高句麗、百済の対立が日本国内の政状に深く関わった。 ○ 日本には数多くの新羅神社、高句麗神社、百済神社が今も存在する。神道におけるる朝鮮半島の影響を知る事ができる。
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