2018年4月25日水曜日

「天皇の肖像 多木浩二」を読む。 ○ 私たち戦前に小学校(国民学校)に入学した者は毎朝奉安殿に安置してある神で在す天皇と皇后の写真(御真影)を拝礼し教育勅語を暗唱した。 この本を読むと身につまされる思いであります。 ○ 封建時代の天皇は京都御所で御簾深く在られ、民衆には疎遠な存在で政治的影響の極めて薄い存在であった。明治新政府は、民衆に見える存在としなければならなっかた。 ○ 明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという「権力の視覚化」は大きな問題だった。天皇は全国を巡幸することで民衆にとって見えるものとなり、さらに御真影がつくられる。理想の近代国家君主の肖像をつくりあげるためにどのような方法がとられたのか。  ○ 明治天皇の「御真影」は写真ではなく肖像画であった。御雇外国人のイタリア人がかキョッソーネが、写真嫌いの天皇をひそかにスケッチして描いた肖像画、それを写真に撮ったものが「御真影」であった。 もし、この事実が一般に知られていたなら「御真影」は成り立たなかっただろう。あの帝王の威厳に満ちた姿は、肖像画の技法を駆使して理想化された日本を統率する大元帥軍人陛下の存在であった。 ○ それは個別の身体ではなく時間を超えた類型的な君主像であったが、民衆はそれを天皇の分身として受け取った。拝礼の対象として物神化されるまでに至ったのは儀礼のシステムによってだが、「御真影」が写真と受け止められたことも大きく与っている。写真という近代の道具が、天皇を神格化するにあたって機能したのは興味深い。 ○ 明治維新になるまでは天皇は宮中深く秘められた存在であった。近代国家の元首として、はたまた国体というフイックションを体現する神聖な存在として民衆の前に天皇はその姿を如現した。 ○ 視覚上の問題として、天皇と民衆の「見る―見られる」という視線が交錯する現場のダイナミズムが本書のテーマである。錦絵、服制、巡幸、御真影などを素材に視線が形成する政治の力学を明らかにしていく著者の方法はユニークであり、もうひとつの近代天皇制の誕生史として読める。

「天皇の肖像 多木浩二」を読む。
○ 私たち戦前に小学校(国民学校)に入学した者は毎朝奉安殿に安置してある神で在す天皇と皇后の写真(御真影)を拝礼し教育勅語を暗唱した。
この本を読むと身につまされる思いであります。
○ 封建時代の天皇は京都御所で御簾深く在られ、民衆には疎遠な存在で政治的影響の極めて薄い存在であった。明治新政府は、民衆に見える存在としなければならなっかた。
○ 明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという「権力の視覚化」は大きな問題だった。天皇は全国を巡幸することで民衆にとって見えるものとなり、さらに御真影がつくられる。理想の近代国家君主の肖像をつくりあげるためにどのような方法がとられたのか。 
○ 明治天皇の「御真影」は写真ではなく肖像画であった。御雇外国人のイタリア人がかキョッソーネが、写真嫌いの天皇をひそかにスケッチして描いた肖像画、それを写真に撮ったものが「御真影」であった。
もし、この事実が一般に知られていたなら「御真影」は成り立たなかっただろう。あの帝王の威厳に満ちた姿は、肖像画の技法を駆使して理想化された日本を統率する大元帥軍人陛下の存在であった。
○ それは個別の身体ではなく時間を超えた類型的な君主像であったが、民衆はそれを天皇の分身として受け取った。拝礼の対象として物神化されるまでに至ったのは儀礼のシステムによってだが、「御真影」が写真と受け止められたことも大きく与っている。写真という近代の道具が、天皇を神格化するにあたって機能したのは興味深い。
○ 明治維新になるまでは天皇は宮中深く秘められた存在であった。近代国家の元首として、はたまた国体というフイックションを体現する神聖な存在として民衆の前に天皇はその姿を如現した。
○ 視覚上の問題として、天皇と民衆の「見る―見られる」という視線が交錯する現場のダイナミズムが本書のテーマである。錦絵、服制、巡幸、御真影などを素材に視線が形成する政治の力学を明らかにしていく著者の方法はユニークであり、もうひとつの近代天皇制の誕生史として読める。

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