2016年9月17日土曜日

「作家の使命私の戦後  山崎豊子」を読む。 ○ 山崎豊子さんは社会の不合理を怒り弱者を労る作家だ。 山崎豊子(1942~2013)さんは「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」「運命の人」等の名著を完成させた、その背景について自ら述べた本だ。 シベリア抑留、中国の貧困地帯、ケニア等での取材、ハワイ大学、カリフォルニア大学での資料収集、そして数々のインタビュー。これだけの入念、緻密な調査があったからこそ、名著が生まれたのである。 ○ 加えて「大地の子」では時の胡燿邦主席の計らいがなければその執筆は不可能だった。山崎豊子さんは胡燿邦主席に深い感謝を述べる。 ○ 私たちは山崎豊子さんに教えられる。 「残留孤児」は実は「戦争孤児」であった。シベリア抑留はソ連の国家ぐるみの捕虜虐待の犯罪であった。それに対して厳重な抗議をしなかった日本政府の怠慢があった。 ○ また山崎豊子さんは、早く帰国したい為にに連共産党に入党して日本人捕虜を迫害した裏切り者を怒る。(私はそのようなソ連共産党員を知っている。帰国後スパイ活動をしていた。) ○ 山崎豊子さんはかつて毎日新聞社で記者をしていた。その時の取材経験が著作に役に立っている。小説家として身をたてたことに関して、当時の上司であった井上靖が、また作風として石川達三が先達のようである。 ○さらに、山崎豊子さんは作家として作品を書きながら何度も執筆を諦めようと思ったことがあるが、戦争中の体験、同僚の死などを思い返しながら作家の道を進んで来た。

「作家の使命私の戦後  山崎豊子」を読む。
○ 山崎豊子さんは社会の不合理を怒り弱者を労る作家だ。
山崎豊子(1942~2013)さんは「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」「運命の人」等の名著を完成させた、その背景について自ら述べた本だ。
シベリア抑留、中国の貧困地帯、ケニア等での取材、ハワイ大学、カリフォルニア大学での資料収集、そして数々のインタビュー。これだけの入念、緻密な調査があったからこそ、名著が生まれたのである。
○ 加えて「大地の子」では時の胡燿邦主席の計らいがなければその執筆は不可能だった。山崎豊子さんは胡燿邦主席に深い感謝を述べる。
○ 私たちは山崎豊子さんに教えられる。
「残留孤児」は実は「戦争孤児」であった。シベリア抑留はソ連の国家ぐるみの捕虜虐待の犯罪であった。それに対して厳重な抗議をしなかった日本政府の怠慢があった。
○ また山崎豊子さんは、早く帰国したい為にに連共産党に入党して日本人捕虜を迫害した裏切り者を怒る。(私はそのようなソ連共産党員を知っている。帰国後スパイ活動をしていた。)
○ 山崎豊子さんはかつて毎日新聞社で記者をしていた。その時の取材経験が著作に役に立っている。小説家として身をたてたことに関して、当時の上司であった井上靖が、また作風として石川達三が先達のようである。
○さらに、山崎豊子さんは作家として作品を書きながら何度も執筆を諦めようと思ったことがあるが、戦争中の体験、同僚の死などを思い返しながら作家の道を進んで来た。

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