2016年7月25日月曜日

7月24日BSフジ「ロシアから来たエース・スタルヒンの生誕100年記念」を見る。 ○ 日本野球史上初の300勝投手・ヴィクトル・スタルヒン(1916〜1957)。まだ幼い少年だったスタルヒンは両親とともにロシア革命で祖国を追われ日本へ。生涯、無国籍で時代や運命に翻弄され続けた人生だった。日本国籍を申請したが確かな理由もなく拒否され無国籍だった。そんなスタルヒンにとって心の支えとなったのが野球だった。スタルヒンが野球と出会った地、それが北海道・旭川。今も旭川市民はスタルヒンを愛している。 ○1934年 中学中退と全日本チーム、そして巨人入団への背後には日米戦を主催していた読売新聞オーナー・正力松太郎の意思があり、スタルヒンがこれに従わねばならなかったのは、「読売買収以前は警視庁の実力者だった正力が、父の犯罪歴をたてに日本国籍のないスタルヒン一家を恫喝したからである」と作家の佐野眞一は著書の中で断言している。 スタルヒンは日米野球の17戦に初登板し、3番手として1イニングを無安打無失点に抑える。 スタルヒンは創成期の日本プロ野球を支えた英雄である。   

7月24日BSフジ「ロシアから来たエース・スタルヒンの生誕100年記念」を見る。
○  日本野球史上初の300勝投手・ヴィクトル・スタルヒン(1916〜1957)。まだ幼い少年だったスタルヒンは両親とともにロシア革命で祖国を追われ日本へ。生涯、無国籍で時代や運命に翻弄され続けた人生だった。日本国籍を申請したが確かな理由もなく拒否され無国籍だった。そんなスタルヒンにとって心の支えとなったのが野球だった。スタルヒンが野球と出会った地、それが北海道・旭川。今も旭川市民はスタルヒンを愛している。
○1934年  中学中退と全日本チーム、そして巨人入団への背後には日米戦を主催していた読売新聞オーナー・正力松太郎の意思があり、スタルヒンがこれに従わねばならなかったのは、「読売買収以前は警視庁の実力者だった正力が、父の犯罪歴をたてに日本国籍のないスタルヒン一家を恫喝したからである」と作家の佐野眞一は著書の中で断言している。
スタルヒンは日米野球の17戦に初登板し、3番手として1イニングを無安打無失点に抑える。
スタルヒンは創成期の日本プロ野球を支えた英雄である。

  

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