2016年7月29日金曜日

7月28日NHKBSプレミアム 昭和の選択「“ライオン宰相”が夢見た平和~軍縮に挑んだ男 浜口雄幸~」を見る。 ○ 世界史を顧みると軍備拡大が国々の不信を増大しやがて大戦争に陥いる。これは現代に残された教訓である。決して軍拡に走ってはならない。いつの世でも軍拡を叫ぶ政治家に人気がある。それはやがて国民に大きな犠牲を強いる。 ○ 浜口雄幸(1870〜1931)は昭和初期、首相として信念を貫き、国際協調の決断を下した。 ついに1930年右翼愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から銃撃された凶弾がもとで亡くなった。 ○ 悲劇の政治家・浜口雄幸。浜口が政治生命をかけて臨んだのが、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議だった。軍縮によって国際協調路線を歩み、軍事費を削って生み出した予算を社会や国民生活の向上にむけようとした浜口。その浜口に日本海軍が大反対する。米英に妥協し軍縮すれば国防に責任が持てなくなるというのだ。 ○ 日本の針路を左右する選択、浜口の決断は。日本の国力から判断して、英米との対決は不可能であることを理解していた。このことは国民生活の負担の軽減と見事にリンクする。戦後不況、社会不安が増大する中で、軍拡から軍縮に転換し、その軍縮余剰金を財源に、国民負担を軽減する施策を行う事であった。

7月28日NHKBSプレミアム 昭和の選択「“ライオン宰相”が夢見た平和~軍縮に挑んだ男 浜口雄幸~」を見る。
○ 世界史を顧みると軍備拡大が国々の不信を増大しやがて大戦争に陥いる。これは現代に残された教訓である。決して軍拡に走ってはならない。いつの世でも軍拡を叫ぶ政治家に人気がある。それはやがて国民に大きな犠牲を強いる。
○ 浜口雄幸(1870〜1931)は昭和初期、首相として信念を貫き、国際協調の決断を下した。
ついに1930年右翼愛国社社員の佐郷屋留雄に至近距離から銃撃された凶弾がもとで亡くなった。
○  悲劇の政治家・浜口雄幸。浜口が政治生命をかけて臨んだのが、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議だった。軍縮によって国際協調路線を歩み、軍事費を削って生み出した予算を社会や国民生活の向上にむけようとした浜口。その浜口に日本海軍が大反対する。米英に妥協し軍縮すれば国防に責任が持てなくなるというのだ。
○  日本の針路を左右する選択、浜口の決断は。日本の国力から判断して、英米との対決は不可能であることを理解していた。このことは国民生活の負担の軽減と見事にリンクする。戦後不況、社会不安が増大する中で、軍拡から軍縮に転換し、その軍縮余剰金を財源に、国民負担を軽減する施策を行う事であった。

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