2016年11月8日火曜日

中村草田男の「萬緑」、「役割果たした」と来春終刊される。淋しいな。 かつて私が参加していた沢木欽一、細見綾子さん主宰の「風」は沢木欽一さんの他界により2002年に終刊した。 ○ 「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句で知られる俳人・中村草田男(くさたお、1901~83)が創刊した俳句誌「萬緑(ばんりょく)」が来年3月号で約70年の歴史に幕を下ろすことになり、14日、記念の集まりが都内で開かれた。季語を重視しつつも人間を生き生きと詠む草田男の句は新たな季語を生み、戦後の俳句界に大きな影響を与えてきた。 ○ 愛媛県出身の草田男は東大在学中に俳句を始め、高浜虚子に師事。昭和初期には加藤楸邨(しゅうそん)、石田波郷らと共に「人間探求派」と呼ばれた。46年秋に「萬緑」を創刊し、この9月号で800号になる。朝日俳壇選者も務めた。「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」は「萬(万)緑」を季語に加えた代表句の一つだ。 ○ 草田男の死後は弟子が選者を務め、88年から三女の弓子さん(72)が発行人となった。現選者の横澤放川さん(69)は「萬緑は草田男そのもの。草田男を直接知る人も少なくなり、結社としての役割を果たしたと判断した」と終刊の理由を語った。 現在の会員数は約800人。最盛期は1200人ほどという。来年4月には横澤さんが代表となり、後継誌「森の座」が創刊される。俳句人口の高齢化も進む中、カリスマ的な主宰なき後の俳句誌・結社の維持・継承は、俳句界に共通する課題である。  戦後、草田男と俳句や季語のあり方ををめぐる論争をしてきた金子兜太さん(96)は「草田男の繊細で豊潤な感性は傑出しており、彼ほど季語を美しく使った人はいなかった」と話した。

中村草田男の「萬緑」、「役割果たした」と来春終刊される。淋しいな。
かつて私が参加していた沢木欽一、細見綾子さん主宰の「風」は沢木欽一さんの他界により2002年に終刊した。
○ 「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句で知られる俳人・中村草田男(くさたお、1901~83)が創刊した俳句誌「萬緑(ばんりょく)」が来年3月号で約70年の歴史に幕を下ろすことになり、14日、記念の集まりが都内で開かれた。季語を重視しつつも人間を生き生きと詠む草田男の句は新たな季語を生み、戦後の俳句界に大きな影響を与えてきた。
○ 愛媛県出身の草田男は東大在学中に俳句を始め、高浜虚子に師事。昭和初期には加藤楸邨(しゅうそん)、石田波郷らと共に「人間探求派」と呼ばれた。46年秋に「萬緑」を創刊し、この9月号で800号になる。朝日俳壇選者も務めた。「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」は「萬(万)緑」を季語に加えた代表句の一つだ。
○ 草田男の死後は弟子が選者を務め、88年から三女の弓子さん(72)が発行人となった。現選者の横澤放川さん(69)は「萬緑は草田男そのもの。草田男を直接知る人も少なくなり、結社としての役割を果たしたと判断した」と終刊の理由を語った。
現在の会員数は約800人。最盛期は1200人ほどという。来年4月には横澤さんが代表となり、後継誌「森の座」が創刊される。俳句人口の高齢化も進む中、カリスマ的な主宰なき後の俳句誌・結社の維持・継承は、俳句界に共通する課題である。
 戦後、草田男と俳句や季語のあり方ををめぐる論争をしてきた金子兜太さん(96)は「草田男の繊細で豊潤な感性は傑出しており、彼ほど季語を美しく使った人はいなかった」と話した。

0 件のコメント: