2016年2月25日木曜日

2月24日。歴史秘話ヒストリア「 二・二六事件から80年奇跡の脱出劇」を見る。 事件起きた昭和11年(1936)年は恥ずかしながら私の生まれた年で感無量です。 二・二六事件は美談の様に言う方がいます。しかしこれは言論封鎖のテロです。 昭和11年(1936)年80年前に起きた二・二六事件。首相官邸が陸軍の部隊300名の襲撃を受け、時の岡田啓介総理危うしというその時、周囲の命がけの救出作戦が始まります。女中の言葉に隠された秘密のメッセージ、そして総理の秘書官による奇想天外なアイデア-大事件のさなかに起きた奇跡の脱出劇です。反乱部隊が総理官邸に乱入する際、官邸警備に当たっていた村上嘉茂衛門巡査部長(官邸内で殺害)、土井清松巡査(林八郎少尉を取り押さえようとするが、殺害される)、清水与四郎巡査(庭)、小館喜代松巡査(官邸玄関)の4名の警察官は拳銃で果敢に応戦するが、襲撃部隊の圧倒的な兵力の前に抵抗むなしく殺害される。しかし、警察官の応戦の隙に岡田総理は押入れに隠れることができた。その間に岡田総理の義弟で総理秘書官兼身辺警護役をつとめていた松尾伝蔵退役陸軍大佐は反乱将校らの前に自ら走り出て銃殺された。将校らは岡田と容貌が似ていた松尾を総理と誤認、目的を果たしたと思いこんだ。 一方、総理生存を知った福田耕総理秘書官と迫水久常総理秘書官らは、麹町憲兵分隊の小坂慶助憲兵曹長、青柳利之憲兵軍曹及び小倉倉一憲兵伍長らと奇策を練り、翌27日に岡田と同年輩の弔問客を官邸に多数入れ、変装させた岡田を退出者に交えてみごと官邸から脱出させた。

2月24日。歴史秘話ヒストリア「 二・二六事件から80年奇跡の脱出劇」を見る。
事件起きた昭和11年(1936)年は恥ずかしながら私の生まれた年で感無量です。
二・二六事件は美談の様に言う方がいます。しかしこれは言論封鎖のテロです。
昭和11年(1936)年80年前に起きた二・二六事件。首相官邸が陸軍の部隊300名の襲撃を受け、時の岡田啓介総理危うしというその時、周囲の命がけの救出作戦が始まります。女中の言葉に隠された秘密のメッセージ、そして総理の秘書官による奇想天外なアイデア-大事件のさなかに起きた奇跡の脱出劇です。反乱部隊が総理官邸に乱入する際、官邸警備に当たっていた村上嘉茂衛門巡査部長(官邸内で殺害)、土井清松巡査(林八郎少尉を取り押さえようとするが、殺害される)、清水与四郎巡査(庭)、小館喜代松巡査(官邸玄関)の4名の警察官は拳銃で果敢に応戦するが、襲撃部隊の圧倒的な兵力の前に抵抗むなしく殺害される。しかし、警察官の応戦の隙に岡田総理は押入れに隠れることができた。その間に岡田総理の義弟で総理秘書官兼身辺警護役をつとめていた松尾伝蔵退役陸軍大佐は反乱将校らの前に自ら走り出て銃殺された。将校らは岡田と容貌が似ていた松尾を総理と誤認、目的を果たしたと思いこんだ。
一方、総理生存を知った福田耕総理秘書官と迫水久常総理秘書官らは、麹町憲兵分隊の小坂慶助憲兵曹長、青柳利之憲兵軍曹及び小倉倉一憲兵伍長らと奇策を練り、翌27日に岡田と同年輩の弔問客を官邸に多数入れ、変装させた岡田を退出者に交えてみごと官邸から脱出させた。

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