2016年2月28日日曜日

2月28日NHK日曜美術館「忘れられた天才 明治の洋画家・五姓田義松」を見ました。 私は五姓田義松(1855〜1915)について良く知らなかった。良い勉強になった。 彼は日本の洋画のパイオニアだ。油絵の技を極め、日本人で初めてパリのサロンに25歳で入選。明治皇室から仕事を依頼されるほどのすご腕を持った画家がいた。五姓田義松だ。とにかく絵がうまい。明治の初め、義松の名は若き天才画家として知れ渡っていた。しかし、印象派の絵を描かなかったので、その名声はやがて忘れさられてしまう。 彼の絵は迫真的な描写が光る「自画像」。義松は、10代の半ばで、すでに西洋絵画の写実表現を身につけていた。義松は10歳のとき、英国人画家・ワーグマンに入門。洋画の技を学び始める。そこへ1年遅れてやってきたのが30歳年上の高橋由一だった。義松は恐るべきスピードで上達。日本を代表する画家へと成長していく。人知れず鉛筆で描きまくった自画像から、若き日の探求が明らかにされていく。

2月28日NHK日曜美術館「忘れられた天才 明治の洋画家・五姓田義松」を見ました。
私は五姓田義松(1855〜1915)について良く知らなかった。良い勉強になった。
彼は日本の洋画のパイオニアだ。油絵の技を極め、日本人で初めてパリのサロンに25歳で入選。明治皇室から仕事を依頼されるほどのすご腕を持った画家がいた。五姓田義松だ。とにかく絵がうまい。明治の初め、義松の名は若き天才画家として知れ渡っていた。しかし、印象派の絵を描かなかったので、その名声はやがて忘れさられてしまう。
彼の絵は迫真的な描写が光る「自画像」。義松は、10代の半ばで、すでに西洋絵画の写実表現を身につけていた。義松は10歳のとき、英国人画家・ワーグマンに入門。洋画の技を学び始める。そこへ1年遅れてやってきたのが30歳年上の高橋由一だった。義松は恐るべきスピードで上達。日本を代表する画家へと成長していく。人知れず鉛筆で描きまくった自画像から、若き日の探求が明らかにされていく。

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