2018年7月5日木曜日

「山岡鐵舟の一生 牛山榮治」を読む。 私はかって静岡県を訪れ山岡鉄舟の牧の原における茶畑開拓の業績、清水次郎長との親交を知った。また千葉市美術館で彼の禅画を観賞する機会に恵まれた。 ○ 山岡 鉄舟(鐵舟)(1836~1888)は、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。 ○ 山岡鉄舟自身は勝海舟のように自分の意見、考えを多数の書物として書き残し、語り残していないので、その全貌を生の史料によって知ることが出来ない。 ○ これが、山岡が幕末・明治初期に日本の歴史に大きな足跡を残し、しかも日本の最高統治者、徳川慶喜と明治天皇に尽くし、明治天皇から深く信頼され、西郷隆盛とも親交があったにもかかわらず、山岡鉄舟についての学問的な研究が行なわれてこなかった大きな原因の一つである。 ○ もう一つの原因は、山岡鉄舟の人格にあった。山岡鉄舟は、自分の功績を表に一切出さず、常に陰に隠れるという主義の人であったので、その事績が必然的に研究者に見逃されてしまったと言える。     

「山岡鐵舟の一生 牛山榮治」を読む。
私はかって静岡県を訪れ山岡鉄舟の牧の原における茶畑開拓の業績、清水次郎長との親交を知った。また千葉市美術館で彼の禅画を観賞する機会に恵まれた。
○ 山岡 鉄舟(鐵舟)(1836~1888)は、幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。
○ 山岡鉄舟自身は勝海舟のように自分の意見、考えを多数の書物として書き残し、語り残していないので、その全貌を生の史料によって知ることが出来ない。
○ これが、山岡が幕末・明治初期に日本の歴史に大きな足跡を残し、しかも日本の最高統治者、徳川慶喜と明治天皇に尽くし、明治天皇から深く信頼され、西郷隆盛とも親交があったにもかかわらず、山岡鉄舟についての学問的な研究が行なわれてこなかった大きな原因の一つである。
○ もう一つの原因は、山岡鉄舟の人格にあった。山岡鉄舟は、自分の功績を表に一切出さず、常に陰に隠れるという主義の人であったので、その事績が必然的に研究者に見逃されてしまったと言える。
    

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