2018年7月1日日曜日

「私の貧乏物語 これからの希望をみつめるために 岩波書店」を読む。 ○ 私は太平洋戦争中焼夷弾爆撃で家を全焼「家なき子」になった。その上に集団疎開で「飢餓」を経験した。疎開地では蚤、虱、蚊に血を吸われ、苦しめられ栄養失調だった。私の思いは「飢餓」を経験していない人に何を言っても無駄だと思う。 ○ 日本では非正規雇用比率が4割を越え、セーフティネットが手薄なまま、若者、女性、高齢者など多くの人たちが貧困や孤立にあえいでいる。そんななか、希望はどこにあり、生きていくための支えがあるとしたら、どのようなものか。 ○ 私達は社会の不合理から眼を反らしててはならない。 各界の36名が体験的に綴るいくつもの「貧乏物語」から、そのヒントをさぐるエッセイ集である。 ■ 本書より抜粋 蛭子能収 「初めての女性とのデートは渋谷だった.この日の飯だけはケチったらだめだと自分に言い聞かせて、それもなるたけシャレた物をと思い,私もまだ食べたことのないピザ店に入った」 佐伯泰英 「好きな闘牛士を取材するためにはイベリア半島を駆けまわることになる。将来のことなど指先ほども考えていなかった。家族はキャンプ場や川原のテントで待っているというのに」 ブレイディみかこ 「家に帰ると貪るように英国の若者たちの音楽を聴いていた。彼らは自分たちの貧しさや絶望を正直に言葉にし、貧困や格差を生み出す社会やマーガレット・サッチャーという人に憤っていた.彼らはとても自分に誠実でクールだと思った」 栗原康 「これまでどんなにがんばってきても、リタイアしたら社会のお荷物.役にたたないのに、カネだけかかるとかいわれてしまう。ただでさえそうなのに、オレはリスクをおかしてでもタケノコを採りにいくんだとかいったらもう大変だ。 おまえらこれ以上、みんなにめいわくをかけるなよ、ジジイ,ババアはだまって寝てろ、それができないのは強欲だ、ひととして貧しいんだといわれてしまう。チキショウ!」 福山哲郎 貧困から身を起こし苦学し政治家になる。 「貧しさが顔に出ないように、なるべくいつも笑顔でいる。」 井手英策 「人間は人間を救ってやれるほど偉くもなければ、力もない。でも、せめて、残酷で理不尽な現実とは、何があっても闘おうと思う。家の貧しさ、障がい、才能、そんなのは運で決まる。それなのに、雇用制度がこわれ、所得が減るなか、運に恵まれない多くの人びとが、不安に怯え、結婚や出産さえ諦めつつある。こんなに悲しいことはない」 小出裕章 原子力核学者として原子力発電所の危険を訴えつづけた。果たして2011 :3 :11に福島原発が事故を起こした。しかし誰も責任を取らない。小出さんはそれでも原発の危険を訴え続ける。

「私の貧乏物語 これからの希望をみつめるために 岩波書店」を読む。
○ 私は太平洋戦争中焼夷弾爆撃で家を全焼「家なき子」になった。その上に集団疎開で「飢餓」を経験した。疎開地では蚤、虱、蚊に血を吸われ、苦しめられ栄養失調だった。私の思いは「飢餓」を経験していない人に何を言っても無駄だと思う。
○ 日本では非正規雇用比率が4割を越え、セーフティネットが手薄なまま、若者、女性、高齢者など多くの人たちが貧困や孤立にあえいでいる。そんななか、希望はどこにあり、生きていくための支えがあるとしたら、どのようなものか。
○ 私達は社会の不合理から眼を反らしててはならない。
各界の36名が体験的に綴るいくつもの「貧乏物語」から、そのヒントをさぐるエッセイ集である。
■ 本書より抜粋
蛭子能収
「初めての女性とのデートは渋谷だった.この日の飯だけはケチったらだめだと自分に言い聞かせて、それもなるたけシャレた物をと思い,私もまだ食べたことのないピザ店に入った」

佐伯泰英
「好きな闘牛士を取材するためにはイベリア半島を駆けまわることになる。将来のことなど指先ほども考えていなかった。家族はキャンプ場や川原のテントで待っているというのに」

ブレイディみかこ
「家に帰ると貪るように英国の若者たちの音楽を聴いていた。彼らは自分たちの貧しさや絶望を正直に言葉にし、貧困や格差を生み出す社会やマーガレット・サッチャーという人に憤っていた.彼らはとても自分に誠実でクールだと思った」

栗原康
「これまでどんなにがんばってきても、リタイアしたら社会のお荷物.役にたたないのに、カネだけかかるとかいわれてしまう。ただでさえそうなのに、オレはリスクをおかしてでもタケノコを採りにいくんだとかいったらもう大変だ。
おまえらこれ以上、みんなにめいわくをかけるなよ、ジジイ,ババアはだまって寝てろ、それができないのは強欲だ、ひととして貧しいんだといわれてしまう。チキショウ!」

福山哲郎
貧困から身を起こし苦学し政治家になる。
「貧しさが顔に出ないように、なるべくいつも笑顔でいる。」

井手英策
「人間は人間を救ってやれるほど偉くもなければ、力もない。でも、せめて、残酷で理不尽な現実とは、何があっても闘おうと思う。家の貧しさ、障がい、才能、そんなのは運で決まる。それなのに、雇用制度がこわれ、所得が減るなか、運に恵まれない多くの人びとが、不安に怯え、結婚や出産さえ諦めつつある。こんなに悲しいことはない」

小出裕章
原子力核学者として原子力発電所の危険を訴えつづけた。果たして2011 :3 :11に福島原発が事故を起こした。しかし誰も責任を取らない。小出さんはそれでも原発の危険を訴え続ける。

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