2018年7月27日金曜日

「桂米朝 私の履歴書」を読む。 上方落語の復興に尽力し、1996年に人間国宝、2009年に文化勲章を授章した桂米朝師匠(1925-2015 享年89歳)の自伝である。元々、日本経済新聞の「私の履歴書」として平成13年に連載されたものを元に原稿用紙百数十枚分を書き足して作成された。 ○ 落語作家小佐田定雄さんの言葉「米朝と言う人は上方落語を復興するために天から遣わされたのではないか。」 ○ 柔らかで品のある語り口を反映した文章で、読んでいてどこか爽やかな印象を受ける。 ○ 第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われる。 ○ 1950年に五代目笑福亭松鶴が死去。師匠の桂米団治も1951年に死去。さらに立花家花橘、二代目林家染丸、二代目桂春団治も死去。元々細々と継承され人気でも漫才に押され気味だった上方落語は、今度こそ滅んだと言われた。 ○ そんな中、米朝は発奮する。「宝塚落語会」の発足。民間放送の普及に乗ってトーク役で起用され、知名度と人気を得る。「上方落語会」の結成。朝日放送との専属契約。上方落語復興の努力とネタの復活。「珍しい上方落語を聴く会」や雑誌「上方風流」。東京新宿紀伊国屋ホールで独演会。大作「地獄八景亡者戯」。サンケイホール独演会。各地で満員の観客を集め、とうとうオーケストラの指揮者にまで引っ張り出される感激の物語です。

「桂米朝 私の履歴書」を読む。
上方落語の復興に尽力し、1996年に人間国宝、2009年に文化勲章を授章した桂米朝師匠(1925-2015 享年89歳)の自伝である。元々、日本経済新聞の「私の履歴書」として平成13年に連載されたものを元に原稿用紙百数十枚分を書き足して作成された。
○ 落語作家小佐田定雄さんの言葉「米朝と言う人は上方落語を復興するために天から遣わされたのではないか。」
○ 柔らかで品のある語り口を反映した文章で、読んでいてどこか爽やかな印象を受ける。
○ 第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われる。
○ 1950年に五代目笑福亭松鶴が死去。師匠の桂米団治も1951年に死去。さらに立花家花橘、二代目林家染丸、二代目桂春団治も死去。元々細々と継承され人気でも漫才に押され気味だった上方落語は、今度こそ滅んだと言われた。
○ そんな中、米朝は発奮する。「宝塚落語会」の発足。民間放送の普及に乗ってトーク役で起用され、知名度と人気を得る。「上方落語会」の結成。朝日放送との専属契約。上方落語復興の努力とネタの復活。「珍しい上方落語を聴く会」や雑誌「上方風流」。東京新宿紀伊国屋ホールで独演会。大作「地獄八景亡者戯」。サンケイホール独演会。各地で満員の観客を集め、とうとうオーケストラの指揮者にまで引っ張り出される感激の物語です。

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