2016年3月16日水曜日

3月16日。BS朝日。「昭和偉人伝、山下清」を見る。 山下清の言葉「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。」 私は山下清(1922〜 1971)さんは、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られている。私は山下清さんの絵は好きです。何回も美術館で拝見しています。山下清さんは平和の画家だから好きです。審査員におもねた絵を描かなかったから好きです。 「放浪の天才画家」山下清。ランニングシャツに短パン。「裸の大将」として広く世間に知られている山下清ですが、 現実の天才画家は、「おしゃれ」で「おしゃべり」でとても「几帳面」な人物だった。毎日の生活も仕事もきちんと計画を立てて、その通りに行う。それは「放浪」においても同じこと。一見自由気ままに見えた旅は、実はきちんと計画された旅だったのです。 本人曰く「日本を5周したぐらいは歩いた」という放浪。大好きだという「花火」をはじめ多くの景色を見に行きました。そして、彼が見た景色が、のちに山下清の代名詞でもある「貼り絵」として世に出てきます。緻密で繊細、それでありながら力強さをも感じる山下清の「貼り絵」。昭和30年代には、この貼り絵と山下清の人柄が人気を呼び、一大ブームを巻き起こしました。展覧会を開けばどこも大入御礼。サイン会ともなれば長蛇の列。しかし、有名になれば、なるほど山下清には、ある思いが強まっていきます。自由を求め放浪にでたい。 49歳という若さで亡くなった「放浪の天才画家」。彼は「良い景色見るために放浪を続けた。」清の甥っ子である山下浩さんをはじめ、清が放浪先で出会った人々が山下清の飾らない人柄を回想した。

3月16日。BS朝日。「昭和偉人伝、山下清」を見る。
山下清の言葉「みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな。」
私は山下清(1922〜 1971)さんは、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られている。私は山下清さんの絵は好きです。何回も美術館で拝見しています。山下清さんは平和の画家だから好きです。審査員におもねた絵を描かなかったから好きです。
「放浪の天才画家」山下清。ランニングシャツに短パン。「裸の大将」として広く世間に知られている山下清ですが、 現実の天才画家は、「おしゃれ」で「おしゃべり」でとても「几帳面」な人物だった。毎日の生活も仕事もきちんと計画を立てて、その通りに行う。それは「放浪」においても同じこと。一見自由気ままに見えた旅は、実はきちんと計画された旅だったのです。 本人曰く「日本を5周したぐらいは歩いた」という放浪。大好きだという「花火」をはじめ多くの景色を見に行きました。そして、彼が見た景色が、のちに山下清の代名詞でもある「貼り絵」として世に出てきます。緻密で繊細、それでありながら力強さをも感じる山下清の「貼り絵」。昭和30年代には、この貼り絵と山下清の人柄が人気を呼び、一大ブームを巻き起こしました。展覧会を開けばどこも大入御礼。サイン会ともなれば長蛇の列。しかし、有名になれば、なるほど山下清には、ある思いが強まっていきます。自由を求め放浪にでたい。 49歳という若さで亡くなった「放浪の天才画家」。彼は「良い景色見るために放浪を続けた。」清の甥っ子である山下浩さんをはじめ、清が放浪先で出会った人々が山下清の飾らない人柄を回想した。

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