2016年4月28日木曜日

「生きるという贅沢 淀川長治」を図書館で借り再読しました。 淀川長治さんは映画が好きで好きで大好きで、映画の伝道者と言うべき人です。 これは淀川長治さんの自伝です。淀川 長治 さん(1909~ 1998) は、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家であ る。約32年にわたって「日曜洋画劇場」の解説を務め、チョーさん、ヨドさんの愛称のほか、サヨナラおじさんとして親しまれました。 4歳の頃から活動写真(映画)を見る。そう言えば私が子供の頃には明治生まれの人は映画の事を「カツドウ、カツロウ」なんて言っていましたっけ。淀川長治さんは幼稚園のころの先生に初恋をする。微笑ましいな。 東京に行き大学に入ったが学校に行かず映画雑誌「映画世界」の編集部に入る。1929年に日本でトーキー映画が公開。淀川長治さんはトーキー映画にびっくり仰天する。アメリカの映画会社ユナイテッド・アーチスト社の大阪支社に採用になる。そこでチャールズ・チャップリンと一対一で42分間話しをし感激する。その後同社東京宣伝部に転勤する。「駅馬車」の他多くの洋画の宣伝をする。黒川明監督の「羅生門」がアカデミー賞を貰った時授賞式に招待されアメリカに行く。淀川長治さんの言葉「私は、まだかつて嫌いな人に会った事がない。」淀川長治さんは幸せな映画人生送った。

「生きるという贅沢 淀川長治」を図書館で借り再読しました。
淀川長治さんは映画が好きで好きで大好きで、映画の伝道者と言うべき人です。
これは淀川長治さんの自伝です。淀川 長治 さん(1909~ 1998) は、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家であ る。約32年にわたって「日曜洋画劇場」の解説を務め、チョーさん、ヨドさんの愛称のほか、サヨナラおじさんとして親しまれました。
4歳の頃から活動写真(映画)を見る。そう言えば私が子供の頃には明治生まれの人は映画の事を「カツドウ、カツロウ」なんて言っていましたっけ。淀川長治さんは幼稚園のころの先生に初恋をする。微笑ましいな。
東京に行き大学に入ったが学校に行かず映画雑誌「映画世界」の編集部に入る。1929年に日本でトーキー映画が公開。淀川長治さんはトーキー映画にびっくり仰天する。アメリカの映画会社ユナイテッド・アーチスト社の大阪支社に採用になる。そこでチャールズ・チャップリンと一対一で42分間話しをし感激する。その後同社東京宣伝部に転勤する。「駅馬車」の他多くの洋画の宣伝をする。黒川明監督の「羅生門」がアカデミー賞を貰った時授賞式に招待されアメリカに行く。淀川長治さんの言葉「私は、まだかつて嫌いな人に会った事がない。」淀川長治さんは幸せな映画人生送った。


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