2018年9月30日日曜日

「揺れるユダヤ人国家  ポスト・シオニズム 立山良司」を読む。 ○ シオニズムは「シオン主義」でありイスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう考えであった。イスラエルか建国されてから、どのような問題があるのだろうか。 ○ イスラエルはアラブ諸国との平和が進む中、「選民の国」「正義の国」というアイデンティティも揺らぎが出てきた。独立半世紀イスラエルの行方はどうなるのか。 イスラエル中央統計局のデータによれば1997年末時点で、イスラエルには約110万人のパレスチナ・アラブ人がいる。 ○ 日本人は「ユダヤ人論」を語るが本当の実態をよく知らない。 ユダヤ人といえば、みな熱心なユダヤ教徒で一枚岩を誇る民族、と思いがちだ。しかし例えば、建国半世紀のイスラエルは、百余国からのユダヤ人移民をかかえるマルチ・エスニック社会であり、ヨーロッパ系とアジア・アフリカ系の対立も激しい。 ○ ユダヤ系アメリカ人は、イスラエルの強力な支持母体であるが、イスラエルのユダヤ人との間には微妙なギャップが存在する(「ガラス越しのキス」)。アメリカのユダヤ人の方がよりイスラエルを無批判に支持する傾向があり(遠隔地ナショナリズム)、対パレスチナではより強硬な態度が支持する傾向がある。 ○ イスラエルでは世俗化、脱宗教化が進む一方で、宗教回帰現象も起きている。中東和平に対する考えも一様ではない。

「揺れるユダヤ人国家  ポスト・シオニズム 立山良司」を読む。
○ シオニズムは「シオン主義」でありイスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう考えであった。イスラエルか建国されてから、どのような問題があるのだろうか。
○ イスラエルはアラブ諸国との平和が進む中、「選民の国」「正義の国」というアイデンティティも揺らぎが出てきた。独立半世紀イスラエルの行方はどうなるのか。
イスラエル中央統計局のデータによれば1997年末時点で、イスラエルには約110万人のパレスチナ・アラブ人がいる。
○ 日本人は「ユダヤ人論」を語るが本当の実態をよく知らない。
ユダヤ人といえば、みな熱心なユダヤ教徒で一枚岩を誇る民族、と思いがちだ。しかし例えば、建国半世紀のイスラエルは、百余国からのユダヤ人移民をかかえるマルチ・エスニック社会であり、ヨーロッパ系とアジア・アフリカ系の対立も激しい。
○ ユダヤ系アメリカ人は、イスラエルの強力な支持母体であるが、イスラエルのユダヤ人との間には微妙なギャップが存在する(「ガラス越しのキス」)。アメリカのユダヤ人の方がよりイスラエルを無批判に支持する傾向があり(遠隔地ナショナリズム)、対パレスチナではより強硬な態度が支持する傾向がある。
○ イスラエルでは世俗化、脱宗教化が進む一方で、宗教回帰現象も起きている。中東和平に対する考えも一様ではない。

2018年9月29日土曜日

「浮世絵で読む、江戸の四季とならわし 赤坂治績」を読む。 ○ 江戸時代の四季の生活が北斎や広重等の浮世絵でビジュアルに描かれており江戸時代の庶民のの習わしがよく分かる浮世絵歳時記である。浮世絵も豊富で、江戸庶民の生活を読み解いてくれているのも楽しい。作者の薀蓄を聴きながら、ゆったりと江戸の町を散歩しているような気分になれる本である。 ○ 中世では現世は「憂世」であった、それが江戸時代には「浮世」になった。江戸時代の庶民は人生を楽しんだようだ。 江戸時代の生活や習わしが正月から大晦日まで順を追って書かれている。 ○ 正月は萬歳芸に笑い転げ、春は着物の裾をからげて潮干狩り、夏はミニチュアの富士に詣で、鰻を食す。秋は長屋総出で井戸さらい、師走の煤払いが終われば持ちをついて年神を待つ。これが庶民のならわしであった。

「浮世絵で読む、江戸の四季とならわし 赤坂治績」を読む。
○ 江戸時代の四季の生活が北斎や広重等の浮世絵でビジュアルに描かれており江戸時代の庶民のの習わしがよく分かる浮世絵歳時記である。浮世絵も豊富で、江戸庶民の生活を読み解いてくれているのも楽しい。作者の薀蓄を聴きながら、ゆったりと江戸の町を散歩しているような気分になれる本である。
○ 中世では現世は「憂世」であった、それが江戸時代には「浮世」になった。江戸時代の庶民は人生を楽しんだようだ。
江戸時代の生活や習わしが正月から大晦日まで順を追って書かれている。
○ 正月は萬歳芸に笑い転げ、春は着物の裾をからげて潮干狩り、夏はミニチュアの富士に詣で、鰻を食す。秋は長屋総出で井戸さらい、師走の煤払いが終われば持ちをついて年神を待つ。これが庶民のならわしであった。

「インパール 高木俊朗」を読む。 著者は従軍記者としてインパール作戦をつぶさに見た。 そして、犠牲となった人間の無念。敗戦後は部下に責任転嫁し、事実を歪曲した軍人を史実に基づいた考証と静かなる気迫で描いた。 ○ インパール作戦1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加した殆どの日本兵が死亡したため、現在では史上最悪の作戦と呼ばれる。 ○ 戦死約26,000、戦病死約30,000の命を落としたインパール作戦は太平洋戦争における敗勢を立なおす為、功名心に気負いたった軍司令官・牟田口廉也中将の下、インパール作戦という無謀な、神がかり的作戦が行われた。 質量共に絶対多数を誇る英印軍の前に徒らに犠牲を重ね敗北した。 司令官牟田口廉也中将はインパール作戦敗北の責任を部下に押し付けた。

「インパール 高木俊朗」を読む。
著者は従軍記者としてインパール作戦をつぶさに見た。
そして、犠牲となった人間の無念。敗戦後は部下に責任転嫁し、事実を歪曲した軍人を史実に基づいた考証と静かなる気迫で描いた。
○ インパール作戦1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加した殆どの日本兵が死亡したため、現在では史上最悪の作戦と呼ばれる。
○ 戦死約26,000、戦病死約30,000の命を落としたインパール作戦は太平洋戦争における敗勢を立なおす為、功名心に気負いたった軍司令官・牟田口廉也中将の下、インパール作戦という無謀な、神がかり的作戦が行われた。
質量共に絶対多数を誇る英印軍の前に徒らに犠牲を重ね敗北した。
司令官牟田口廉也中将はインパール作戦敗北の責任を部下に押し付けた。

「イギリス名宰相物語 小林章夫」を読む。 ○ イギリス事情に詳しい英文学者の小林章夫氏がイギリスの有名首相について語る。 賢人、名将、文人、艶福家――世界初の宰相ウォルポールからチャーチルまで、大英帝国を率いたリーダーたちの人間像とは。多彩な逸話、名言でつづる物語である。 名宰相どの方も魅力的な人物であり、また彼らが有していた豊かな教養には驚かされる。 ●ロバート・ウォルポール―― 平和を貫いた男の現実主義。議院内閣制を確立した。 ●ウイリアム・ピット―― 大ピット、インド帰りの家から生まれた首相。七年戦争の主導者である。その息子の父と同名「小ピット」ウイリアム・ピット清廉潔白な政治家。 ● ウェリントン公爵(本名アーサー・ウエズリー)―― ネルソンと並ぶ名将、ワーテルローの戦いでナポレオン軍を撃破、戦争の英雄から首相へ。 ● ベンジャミン・ディズレイリ―― ユダヤ系の帝国主義者。ロスチャイルドとの結びつき。 ● ウイリアム・グラッドストン―― お4度内閣を組閣、娼婦が大好きな精力家、精力旺盛な自由主義者。 ● ロイド・ジョージ―― ウェールズが生んだ首相、第一次世界大戦を乗り越えた。 ● ウインストン・チャーチルーー 第一次世界大戦で数々の大臣、第二次世界大戦で首相として勝利に導く。ノーベル文学賞を受賞した。国葬で送られた首相。 ● マーガレット・サッチャー ーー イギリス経済を回復させた、「鉄の女」と呼ばれた。 ● トニー・ブレア ーー アイルランドとイギリスの抗争を和平解決した。

「イギリス名宰相物語 小林章夫」を読む。
○ イギリス事情に詳しい英文学者の小林章夫氏がイギリスの有名首相について語る。
賢人、名将、文人、艶福家――世界初の宰相ウォルポールからチャーチルまで、大英帝国を率いたリーダーたちの人間像とは。多彩な逸話、名言でつづる物語である。
名宰相どの方も魅力的な人物であり、また彼らが有していた豊かな教養には驚かされる。
●ロバート・ウォルポール―― 平和を貫いた男の現実主義。議院内閣制を確立した。
●ウイリアム・ピット―― 大ピット、インド帰りの家から生まれた首相。七年戦争の主導者である。その息子の父と同名「小ピット」ウイリアム・ピット清廉潔白な政治家。
● ウェリントン公爵(本名アーサー・ウエズリー)―― ネルソンと並ぶ名将、ワーテルローの戦いでナポレオン軍を撃破、戦争の英雄から首相へ。
● ベンジャミン・ディズレイリ―― ユダヤ系の帝国主義者。ロスチャイルドとの結びつき。
● ウイリアム・グラッドストン―― お4度内閣を組閣、娼婦が大好きな精力家、精力旺盛な自由主義者。
● ロイド・ジョージ―― ウェールズが生んだ首相、第一次世界大戦を乗り越えた。
● ウインストン・チャーチルーー 第一次世界大戦で数々の大臣、第二次世界大戦で首相として勝利に導く。ノーベル文学賞を受賞した。国葬で送られた首相。
● マーガレット・サッチャー ーー イギリス経済を回復させた、「鉄の女」と呼ばれた。
● トニー・ブレア ーー アイルランドとイギリスの抗争を和平解決した。

2018年9月28日金曜日

「ネイティブ・アメリカン先住民族社会の現在 鎌田遵」を読む。 ○ ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)の歴史・文化・社会を見ることで、アメリカ社会が内包する闇を浮かび上がらせる事ができる。 ○ 土地を奪われ、排除と同化を強いられてきたネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)たちは、今もなお社会の最底辺で困難な生活を送っている。 ○ ネイティブ・アメリカンが現在抱える諸問題の多くは、極度の経済難に起因している。 ○ 2000年度の国勢調査によるとネイティブ・アメリカンの人口は24,759,956人、アメリカ国民全体の中でわずか0.91%である。しかし、300以上の居留地と、500以上の部族がある。 ○ フォート・モハベ族の元部族長の妻が語る「わたしたちが先祖代々暮らしている土地にゲストを住まわせてあげているのに、まだ一度も家賃を払ってもらっていません。いつか払ってくれるといいのだけれども」という言葉がある。彼女の言う「家賃」とは「敬意」である。

「ネイティブ・アメリカン先住民族社会の現在 鎌田遵」を読む。
○ ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)の歴史・文化・社会を見ることで、アメリカ社会が内包する闇を浮かび上がらせる事ができる。
○ 土地を奪われ、排除と同化を強いられてきたネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)たちは、今もなお社会の最底辺で困難な生活を送っている。
○ ネイティブ・アメリカンが現在抱える諸問題の多くは、極度の経済難に起因している。
○ 2000年度の国勢調査によるとネイティブ・アメリカンの人口は24,759,956人、アメリカ国民全体の中でわずか0.91%である。しかし、300以上の居留地と、500以上の部族がある。
○ フォート・モハベ族の元部族長の妻が語る「わたしたちが先祖代々暮らしている土地にゲストを住まわせてあげているのに、まだ一度も家賃を払ってもらっていません。いつか払ってくれるといいのだけれども」という言葉がある。彼女の言う「家賃」とは「敬意」である。

2018年9月27日木曜日

「「風と共に去りぬ」のアメリカ 青木冨貴子」を読む。 ○ アメリカ南部にについて知りたい人、小説「風と共に去りぬ」や映画「風と共に去りぬ」を見た世代も、「アメリカ」を深く知りたいなら読むべき一冊であろう。 ○ 人種・民族のるつぼのアメリカでは、共生と軋轢が日常である。人々は心の奥深くでこれをどう考えているのか。著者はアトランタをはじめ各地を旅し、世界的大ベストセラー「風と共に去りぬ」を生んだ南部の土壌を、豊富なインタビューで描き出すことにより、人種間の複雑な思いを明らかにしていく。さらには、いまも続く北部との違いも浮かび上がった。 ○ 著者がアトランタで「風と共に去りぬ」の取材すると、黒人たちの反応の厳しさには胸をつかれる思いであった。 ○ アトランタは「風と共に去りぬ」の舞台として知られる。しかし、世界中に熱烈なファンを持つこの物語も、黒人の間では大きな批判や波紋を巻き起こしてきた。著者は豊富なインタビューで南部の土壌を描き出すことにより、この小説と映画の裏にあるアメリカの人種問題の複雑さを明らかにする。 ○ 「風と共に去りぬ」で繰返し攻撃する対象は北部の白人(ヤンキー)である。南北戦争で敗北した南部の思想では、北部人が黒人んを堕落させた。南部の白人は善良と言う思想である。

「「風と共に去りぬ」のアメリカ 青木冨貴子」を読む。
○ アメリカ南部にについて知りたい人、小説「風と共に去りぬ」や映画「風と共に去りぬ」を見た世代も、「アメリカ」を深く知りたいなら読むべき一冊であろう。
○ 人種・民族のるつぼのアメリカでは、共生と軋轢が日常である。人々は心の奥深くでこれをどう考えているのか。著者はアトランタをはじめ各地を旅し、世界的大ベストセラー「風と共に去りぬ」を生んだ南部の土壌を、豊富なインタビューで描き出すことにより、人種間の複雑な思いを明らかにしていく。さらには、いまも続く北部との違いも浮かび上がった。
○ 著者がアトランタで「風と共に去りぬ」の取材すると、黒人たちの反応の厳しさには胸をつかれる思いであった。
○ アトランタは「風と共に去りぬ」の舞台として知られる。しかし、世界中に熱烈なファンを持つこの物語も、黒人の間では大きな批判や波紋を巻き起こしてきた。著者は豊富なインタビューで南部の土壌を描き出すことにより、この小説と映画の裏にあるアメリカの人種問題の複雑さを明らかにする。
○ 「風と共に去りぬ」で繰返し攻撃する対象は北部の白人(ヤンキー)である。南北戦争で敗北した南部の思想では、北部人が黒人んを堕落させた。南部の白人は善良と言う思想である。

2018年9月25日火曜日

絵手紙サークルで描いた葉書サイズの絵手紙です。素人絵で失礼します。 菊2枚、花虎の尾、南瓜、曼珠沙華、萩です。

絵手紙サークルで描いた葉書サイズの絵手紙です。素人絵で失礼します。
菊2枚、花虎の尾、南瓜、曼珠沙華、萩です。

「宗教に揺さぶられた日本史 武光誠」を読む。 「宗教が関わった事件」を読み解くと、歴史の新たな実像が見えてくる。宗教が絡んだ争い・出来事はなぜ起こり、その時代に何をもたらしたのか。 ○ 世界の宗教戦争と日本の宗教紛争の違い 一神教の世界では、宗教の違い、さらに同一宗教でも宗派のがそのまま、そのまま敵味方になった。 392年にローマ帝国キリスト教を国教とした。そして異教徒を弾圧した。 610年にムハマンドがイスラム教を起こし広い地域で聖戦(ジハード)を行い多くの異教徒を征服した。 西ヨーロッパ諸国の勢力が拡大すると、キリスト教徒は十字軍と称してイスラム圏に侵入し200年に及ぶ戦争を起こした。 日本においては神仏習合により、それほど大きな宗教戦争は、起きなかった。 1章 奈良時代までの宗教をめぐる紛争・事件―古来の神をまつる日本人を「仏教・道教」は、いかに変えたか 多神教の神道は平和な宗教であった。蘇我、物部の戦いは宗教戦争と言うより朝廷内の勢力争いであった。 2章 平安時代の宗教をめぐる紛争・事件―武士の勃興と「僧侶の武装化」が日本史をかくも揺るがした 武士化した僧侶、強訴する法師武者。熊野別当は源氏に味方し源平合戦を源氏勝利に導いた。 3章 鎌倉・南北朝時代の宗教をめぐる紛争・事件―聖域「比叡山・吉野」に、朝廷と幕府の争いがもたらしたものとは 足利尊氏は比叡山を徹底的に叩いた。吉野の修験者が後醍醐天皇の南朝を支えた。 4章 室町・戦国時代の宗教をめぐる紛争・事件―民衆を取り込んだ「新仏教」は権力といかに対峙したか 庶民仏教、所謂「新仏教」は北陸に真宗王国(自治国)を成立させた。 5章 安土桃山時代の宗教をめぐる紛争・事件―信長・秀吉の天下統一に対し「宗教勢力」はどう抗ったのか 織田信長による比叡山焼き討ち。顕如が率いた石山合戦、長島合戦で織田信長を苦しめた。豊臣秀吉は雑賀、根来を攻め仏教勢力を攻め落とした。 6章 江戸・明治時代の宗教をめぐる紛争・事件―「島原の乱」と「神仏分離令」が日本社会に与えた影響とは 「島原の乱」は宗教戦争と言うより百姓一揆に近い。 ペリー来航(1852)以来尊皇論が急速に広まった。明治政府は神道と天皇制が切りはなせない日本独自の信仰とする復古信仰が正しいとした。その為信仰を「古事記」の時代に戻そうとした。それが神仏分離令であり、廃仏毀釈である。

「宗教に揺さぶられた日本史 武光誠」を読む。
「宗教が関わった事件」を読み解くと、歴史の新たな実像が見えてくる。宗教が絡んだ争い・出来事はなぜ起こり、その時代に何をもたらしたのか。
○ 世界の宗教戦争と日本の宗教紛争の違い
一神教の世界では、宗教の違い、さらに同一宗教でも宗派のがそのまま、そのまま敵味方になった。
392年にローマ帝国キリスト教を国教とした。そして異教徒を弾圧した。
610年にムハマンドがイスラム教を起こし広い地域で聖戦(ジハード)を行い多くの異教徒を征服した。
西ヨーロッパ諸国の勢力が拡大すると、キリスト教徒は十字軍と称してイスラム圏に侵入し200年に及ぶ戦争を起こした。
日本においては神仏習合により、それほど大きな宗教戦争は、起きなかった。

1章 奈良時代までの宗教をめぐる紛争・事件―古来の神をまつる日本人を「仏教・道教」は、いかに変えたか
多神教の神道は平和な宗教であった。蘇我、物部の戦いは宗教戦争と言うより朝廷内の勢力争いであった。

2章 平安時代の宗教をめぐる紛争・事件―武士の勃興と「僧侶の武装化」が日本史をかくも揺るがした
武士化した僧侶、強訴する法師武者。熊野別当は源氏に味方し源平合戦を源氏勝利に導いた。

3章 鎌倉・南北朝時代の宗教をめぐる紛争・事件―聖域「比叡山・吉野」に、朝廷と幕府の争いがもたらしたものとは
足利尊氏は比叡山を徹底的に叩いた。吉野の修験者が後醍醐天皇の南朝を支えた。

4章 室町・戦国時代の宗教をめぐる紛争・事件―民衆を取り込んだ「新仏教」は権力といかに対峙したか
庶民仏教、所謂「新仏教」は北陸に真宗王国(自治国)を成立させた。

5章 安土桃山時代の宗教をめぐる紛争・事件―信長・秀吉の天下統一に対し「宗教勢力」はどう抗ったのか
織田信長による比叡山焼き討ち。顕如が率いた石山合戦、長島合戦で織田信長を苦しめた。豊臣秀吉は雑賀、根来を攻め仏教勢力を攻め落とした。

6章 江戸・明治時代の宗教をめぐる紛争・事件―「島原の乱」と「神仏分離令」が日本社会に与えた影響とは
「島原の乱」は宗教戦争と言うより百姓一揆に近い。

ペリー来航(1852)以来尊皇論が急速に広まった。明治政府は神道と天皇制が切りはなせない日本独自の信仰とする復古信仰が正しいとした。その為信仰を「古事記」の時代に戻そうとした。それが神仏分離令であり、廃仏毀釈である。

2018年9月24日月曜日

「不許可写真 草森紳一」を読む。 ○ 本書は、1998年12月と1999年1月に毎日新聞社から出版された『20世紀の記憶 毎日新聞秘蔵 不許可写真1・2』に掲載された草森紳一氏の『不許可写真論』を新書として再販売したものである。 本書でいう「不許可」は戦時の検閲であり、検閲の主体は旧日本陸軍であり、軍の定めた「不許可」である。許可するかしないかの判断基準の中核には「軍の思想」がある。 ①軍の思想とは「軍事機密が写真を通じて敵方に知れて、我が軍が不利益を被るのではないか」 ②「不用意な写真が出回って国民の士気を損ねることになりはせぬか」である。 ○ 例えば、何の変哲もない日本軍の写真が不許可になっている。海岸線で船から日本軍が降りて上陸しているところである。 これが不許可だという。その理由は軍事機密である上陸用舟艇の型式及び構造がわかってしまうからとのことである。

「不許可写真 草森紳一」を読む。
○ 本書は、1998年12月と1999年1月に毎日新聞社から出版された『20世紀の記憶 毎日新聞秘蔵 不許可写真1・2』に掲載された草森紳一氏の『不許可写真論』を新書として再販売したものである。
本書でいう「不許可」は戦時の検閲であり、検閲の主体は旧日本陸軍であり、軍の定めた「不許可」である。許可するかしないかの判断基準の中核には「軍の思想」がある。
①軍の思想とは「軍事機密が写真を通じて敵方に知れて、我が軍が不利益を被るのではないか」
②「不用意な写真が出回って国民の士気を損ねることになりはせぬか」である。
○ 例えば、何の変哲もない日本軍の写真が不許可になっている。海岸線で船から日本軍が降りて上陸しているところである。
これが不許可だという。その理由は軍事機密である上陸用舟艇の型式及び構造がわかってしまうからとのことである。

「歴史からの伝言 加藤陽子、佐藤優、福田和也」 ○ 加藤陽子、佐藤優、福田和也の三氏が昭和史について鼎談する。 三人の論者とも1960年生まれ。5年前に刊行。ちょうど民主党政権の時代。佐藤優氏が「民主党政権は本当に強いと思うんです。なぜなら何も理念がないからです。権力だけで結びついてる」と言う。 しかし権力を失った民進党は今分裂の危機にある。本書での関心事は、天皇と美濃部の機関説、沖縄と天皇、近代皇室とカトリック、ユーラシア主義と大東亜共栄圏、幕末の排外主義、明治天皇の朝鮮観。最後に、沖縄の海兵隊は2ヶ月しか沖縄に駐留してなく、あとは海外で訓練をしているそうだ。それで中国の海警が尖閣に出没しやすいとのであろうか。 第1章 尾崎秀実から再考する「東亜協同体」の可能性 第2章 皇室の母性と天皇の超越性 第3章 日米安保と沖縄の五十年 第4章 ポスト安保の思想と運動 第5章 危機下の宰相―原敬と“おとな”の政治 第6章 平沼騏一郎―「複雑怪奇」な機会主義者 第7章 排外主義はどこにあるか?―幕末、言語、TPP

「歴史からの伝言 加藤陽子、佐藤優、福田和也」
○ 加藤陽子、佐藤優、福田和也の三氏が昭和史について鼎談する。
三人の論者とも1960年生まれ。5年前に刊行。ちょうど民主党政権の時代。佐藤優氏が「民主党政権は本当に強いと思うんです。なぜなら何も理念がないからです。権力だけで結びついてる」と言う。
しかし権力を失った民進党は今分裂の危機にある。本書での関心事は、天皇と美濃部の機関説、沖縄と天皇、近代皇室とカトリック、ユーラシア主義と大東亜共栄圏、幕末の排外主義、明治天皇の朝鮮観。最後に、沖縄の海兵隊は2ヶ月しか沖縄に駐留してなく、あとは海外で訓練をしているそうだ。それで中国の海警が尖閣に出没しやすいとのであろうか。

第1章 尾崎秀実から再考する「東亜協同体」の可能性
第2章 皇室の母性と天皇の超越性
第3章 日米安保と沖縄の五十年
第4章 ポスト安保の思想と運動
第5章 危機下の宰相―原敬と“おとな”の政治
第6章 平沼騏一郎―「複雑怪奇」な機会主義者
第7章 排外主義はどこにあるか?―幕末、言語、TPP

「宝塚、わがタカラヅカ 植田紳爾」を読む。 ○ 植田 紳爾氏は宝塚歌劇団専属の劇作家、演出家である。 ○ 『ベルサイユのばら』や『風と共に去りぬ』など数々の話題作をヒットさせた著者が、幼少年時代から宝塚入団当時のこと、海外公演、『ベルばら』公演秘話など、40年に及ぶ歌劇団生活をエピソードをふんだんに交えて綴った自叙伝ふう回想録である。 ○ 著者は40年の間100本以上の作品を作ってきた。 宝塚は一時赤字で存続を危ぶまれた。しかし阪急電鉄創始者、小林一三氏は「阪急は文化を提供しているのだ。」の言葉に救われ現在の繁栄となった。 植田紳爾氏は現在の宝塚歌劇団専属演出家の中で最古参の重鎮であり、一般的な“タカラヅカ”のイメージ形成に一役買った人物である。大作担当者として成功してからは、スケール豊かな歴史劇を得意にし、作品群に漂う彼一流の様式美から、彼の作品は“植田歌舞伎”とも呼ばれる。また理事長時代には、歌劇団を赤字体質から脱却させて経営手腕を評価された。

「宝塚、わがタカラヅカ 植田紳爾」を読む。
○ 植田 紳爾氏は宝塚歌劇団専属の劇作家、演出家である。
○ 『ベルサイユのばら』や『風と共に去りぬ』など数々の話題作をヒットさせた著者が、幼少年時代から宝塚入団当時のこと、海外公演、『ベルばら』公演秘話など、40年に及ぶ歌劇団生活をエピソードをふんだんに交えて綴った自叙伝ふう回想録である。
○ 著者は40年の間100本以上の作品を作ってきた。
宝塚は一時赤字で存続を危ぶまれた。しかし阪急電鉄創始者、小林一三氏は「阪急は文化を提供しているのだ。」の言葉に救われ現在の繁栄となった。
植田紳爾氏は現在の宝塚歌劇団専属演出家の中で最古参の重鎮であり、一般的な“タカラヅカ”のイメージ形成に一役買った人物である。大作担当者として成功してからは、スケール豊かな歴史劇を得意にし、作品群に漂う彼一流の様式美から、彼の作品は“植田歌舞伎”とも呼ばれる。また理事長時代には、歌劇団を赤字体質から脱却させて経営手腕を評価された。

2018年9月23日日曜日

 9月23日NHK日曜美術館「生きて流れよ日本伝統工芸展」を見る。 川の流れのように伝統を受け継ぎながらも一瞬もとどまることなく、新しいものを築けという日本伝統工芸展。 今年も始まる展覧会の全16の受賞作を紹介第65回日本伝統工芸展。昭和29年に失われてきた伝統工芸の技術を守り育てることを目的に始まった。陶芸、漆芸、金工、木竹工、染織、人形、諸工芸(ガラス、七宝など)の7部門から選ばれる。今年の受賞作は、展覧会の趣旨どおり、伝統をベースにしつつも何か新しいものを目指した作品が多い。まさに最高峰の技の限りを尽くす、“美の競演”。司会の小野正嗣と高橋美鈴がその創作の現場を訪ね、珠玉の作品誕生の秘密に迫る

 9月23日NHK日曜美術館「生きて流れよ日本伝統工芸展」を見る。
川の流れのように伝統を受け継ぎながらも一瞬もとどまることなく、新しいものを築けという日本伝統工芸展。
今年も始まる展覧会の全16の受賞作を紹介第65回日本伝統工芸展。昭和29年に失われてきた伝統工芸の技術を守り育てることを目的に始まった。陶芸、漆芸、金工、木竹工、染織、人形、諸工芸(ガラス、七宝など)の7部門から選ばれる。今年の受賞作は、展覧会の趣旨どおり、伝統をベースにしつつも何か新しいものを目指した作品が多い。まさに最高峰の技の限りを尽くす、“美の競演”。司会の小野正嗣と高橋美鈴がその創作の現場を訪ね、珠玉の作品誕生の秘密に迫る

9月23日日曜日千葉市ヨットハーバーにヨットが走っていました。

9月23日日曜日千葉市ヨットハーバーにヨットが走っていました。

「窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子」を読む。 ○ 「窓ぎわのトットちゃん」は多くの方に読まれ、もはや「現代の古典的文学」のような感のある作品でしょうか。ずいぶん前に、この本のことは知っていたのですが、読まずにいました。読み遅れてすみません。表紙絵、挿し絵が「いわさきちひろ」さんの作品で嬉しい。 ○ トットちゃんの本当の名前は、徹子で皆さんは「徹子ちゃん」と呼んでくれたが、自分では「トットちゃん」だと思っていた。 ○ 戦前の日本にトモエ学園のようなトットちゃんのような一風変わった子を受け入れてくれる小学校があったことが驚きです。 ○ 東京都目黒区自由が丘にかつて存在し、著者の黒柳徹子さんが通学したトモエ学園を舞台に、黒柳自身の小学生時代についてはもちろん、トモエ学園に於けるユニークな教育方法(リトミック、廃車になった電車を利用した教室など)や、校長である小林宗作さんの人柄が描かれ、また黒柳の級友も全員実名で、その中でも初恋の相手に物理学者の山内泰二さんも登場する、完全なノンフィクション作品である。

「窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子」を読む。
○ 「窓ぎわのトットちゃん」は多くの方に読まれ、もはや「現代の古典的文学」のような感のある作品でしょうか。ずいぶん前に、この本のことは知っていたのですが、読まずにいました。読み遅れてすみません。表紙絵、挿し絵が「いわさきちひろ」さんの作品で嬉しい。
○ トットちゃんの本当の名前は、徹子で皆さんは「徹子ちゃん」と呼んでくれたが、自分では「トットちゃん」だと思っていた。
○ 戦前の日本にトモエ学園のようなトットちゃんのような一風変わった子を受け入れてくれる小学校があったことが驚きです。
○ 東京都目黒区自由が丘にかつて存在し、著者の黒柳徹子さんが通学したトモエ学園を舞台に、黒柳自身の小学生時代についてはもちろん、トモエ学園に於けるユニークな教育方法(リトミック、廃車になった電車を利用した教室など)や、校長である小林宗作さんの人柄が描かれ、また黒柳の級友も全員実名で、その中でも初恋の相手に物理学者の山内泰二さんも登場する、完全なノンフィクション作品である。

「象徴天皇の源流 今谷明」を読む。 ○ 日本の天皇のあり方は、諸外国の王政と比べても極めて特異なものである。 その特色は、千年も以前から、「不執政王」が伝統となっている事である。 ○ 天皇制は早くから権威と権力が分離し、天皇自ら政治を執ることは古来希であった。 本書は中世史専攻の著者が、桓武帝まで遡って「象徴天皇」の源流を解き明かす試みである。 この書では奈良・平安を中心とした時代の解説である。室町の足利義満の頃が最も天皇の権威が低下した時代であった。戦国大名が天皇の名で停戦命令を出したので戦国期には天皇権威が上昇したとの指摘は興味深い。

「象徴天皇の源流 今谷明」を読む。
○ 日本の天皇のあり方は、諸外国の王政と比べても極めて特異なものである。
その特色は、千年も以前から、「不執政王」が伝統となっている事である。
○ 天皇制は早くから権威と権力が分離し、天皇自ら政治を執ることは古来希であった。
本書は中世史専攻の著者が、桓武帝まで遡って「象徴天皇」の源流を解き明かす試みである。
この書では奈良・平安を中心とした時代の解説である。室町の足利義満の頃が最も天皇の権威が低下した時代であった。戦国大名が天皇の名で停戦命令を出したので戦国期には天皇権威が上昇したとの指摘は興味深い。

2018年9月22日土曜日

千葉劇場で映画「判決、ふたつの希望」を見る。 ○ 映画の舞台はレバノンの首都ベイルート。住宅街で補修作業をしていた現場監督ヤーセル・サラーメ(カメル・エル・バシャ)の頭上に、アパートのベランダで水やりをしていた自動車修理工場経営トニー・ハンナ(アデル・カラム)の水がかかる。 ヤーセルが悪態をつき、トニーも激高。アクセントからヤーセルがパレスチナ難民だと気づいたキリスト教マロン派のトニーは、謝罪に来たヤーセルに「シャロンに抹殺されていればよかった」とののしる。 シャロンとは、イスラエルがレバノンに侵攻した際の国防相で、パレスチナ難民が多数虐殺された「サブラ・シャティーラの虐殺」の責任者だ。 ○ パレスチナ人に恐怖と憎悪を呼び覚ます許されざるヘイトに、ヤーセルはトニーの腹部に拳を見舞う。 争いは法廷へ持ち込まれ、トニーには著名弁護士ワハビー(カミール・サラメ)が、ヤーセルには人権派弁護士ナディーン(ディヤマン・アブー・アッブード)がつき、メディアは宗教・民族間の争いだと書き立て、街で暴動も起きる騒ぎに。次第に、パレスチナ難民とキリスト教徒の対立を契機とした内戦の忌まわしい過去がつまびらかになってゆく。 アカデミー外国語映画賞にレバノン作品として初めてノミネートされたほか、ヤーセルを演じたエル・バシャはベネチア国際映画祭でパレスチナ人初の最優秀男優賞に輝いた。 監督・脚本:ジアド・ドゥエイリ 脚本:ジョエル・トゥーマ 出演:カメル・エル=バシャ、アデル・カラム 2017年/レバノン、フランス 原題:L'INSULT 英題:The Insult レバノン出身のジアド・ドゥエイリ監督が、自身の体験に基づいて描いた。

千葉劇場で映画「判決、ふたつの希望」を見る。
○ 映画の舞台はレバノンの首都ベイルート。住宅街で補修作業をしていた現場監督ヤーセル・サラーメ(カメル・エル・バシャ)の頭上に、アパートのベランダで水やりをしていた自動車修理工場経営トニー・ハンナ(アデル・カラム)の水がかかる。
ヤーセルが悪態をつき、トニーも激高。アクセントからヤーセルがパレスチナ難民だと気づいたキリスト教マロン派のトニーは、謝罪に来たヤーセルに「シャロンに抹殺されていればよかった」とののしる。
シャロンとは、イスラエルがレバノンに侵攻した際の国防相で、パレスチナ難民が多数虐殺された「サブラ・シャティーラの虐殺」の責任者だ。
○ パレスチナ人に恐怖と憎悪を呼び覚ます許されざるヘイトに、ヤーセルはトニーの腹部に拳を見舞う。
争いは法廷へ持ち込まれ、トニーには著名弁護士ワハビー(カミール・サラメ)が、ヤーセルには人権派弁護士ナディーン(ディヤマン・アブー・アッブード)がつき、メディアは宗教・民族間の争いだと書き立て、街で暴動も起きる騒ぎに。次第に、パレスチナ難民とキリスト教徒の対立を契機とした内戦の忌まわしい過去がつまびらかになってゆく。

アカデミー外国語映画賞にレバノン作品として初めてノミネートされたほか、ヤーセルを演じたエル・バシャはベネチア国際映画祭でパレスチナ人初の最優秀男優賞に輝いた。
監督・脚本:ジアド・ドゥエイリ
脚本:ジョエル・トゥーマ
出演:カメル・エル=バシャ、アデル・カラム
2017年/レバノン、フランス
原題:L'INSULT
英題:The Insult
レバノン出身のジアド・ドゥエイリ監督が、自身の体験に基づいて描いた。

9月22日(土) 千葉市美術館「1968年激動の時代芸術」を観賞する。 期間9月19日~11月11日 50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった。 ○ 世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年代は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。日本でも、成田空港問題、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激でエキセントリックな動向が隆盛を極めました。 近年、この時期に起こった文化現象が様々な分野で注目を集めており、「1968」は国内外で文化史のキーワードとして定着したと言えるでしょう。 ○ 1968年前後は、日本の現代美術にとっても重要な時期になりました。 多くの芸術家が日本万国博覧会(大阪万博)の準備に協力する一方で、万博に参加しなかった作家や評論家の多くが、この動きを批判しました。 また現代美術のみならず、演劇・舞踏・映画・建築・デザイン・漫画などの周辺領域の作家たちも、既存のスタイルを打ち破るような先鋭的な試みを次々とおこない、またジャンルを越えて協力し合ったのです。 ○ さらにこの年には、「もの派」の嚆矢ともいうべき関根伸夫の《位相-大地》が発表され、写真同人誌『プロヴォーク』も創刊されるなど、新たな世代が一気に台頭しました。 学生運動やヒッピームーヴメントに代表されるような、既成の価値や体制に異議申し立てをおこなう時代の空気は、芸術家のあいだでも共有されていたのです。 ○  本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、この興味深い時代の芸術状況を、現代美術を中心に回顧しようとする試みです。この時代の芸術を輪切りにして展観することで、新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。磯崎新、赤瀬川原平、高松次郎、0次元、横尾忠則、宇野亜喜良、寺山修司、唐十郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、土方巽、林静一、森山大道、関根伸夫ら個性的な顔ぶれが縦横無尽に活躍した時代の熱い時代でした。

9月22日(土) 千葉市美術館「1968年激動の時代芸術」を観賞する。
期間9月19日~11月11日
50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった。
○ 世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年代は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。日本でも、成田空港問題、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激でエキセントリックな動向が隆盛を極めました。
近年、この時期に起こった文化現象が様々な分野で注目を集めており、「1968」は国内外で文化史のキーワードとして定着したと言えるでしょう。
○ 1968年前後は、日本の現代美術にとっても重要な時期になりました。
多くの芸術家が日本万国博覧会(大阪万博)の準備に協力する一方で、万博に参加しなかった作家や評論家の多くが、この動きを批判しました。
また現代美術のみならず、演劇・舞踏・映画・建築・デザイン・漫画などの周辺領域の作家たちも、既存のスタイルを打ち破るような先鋭的な試みを次々とおこない、またジャンルを越えて協力し合ったのです。
○ さらにこの年には、「もの派」の嚆矢ともいうべき関根伸夫の《位相-大地》が発表され、写真同人誌『プロヴォーク』も創刊されるなど、新たな世代が一気に台頭しました。
学生運動やヒッピームーヴメントに代表されるような、既成の価値や体制に異議申し立てをおこなう時代の空気は、芸術家のあいだでも共有されていたのです。
○  本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、この興味深い時代の芸術状況を、現代美術を中心に回顧しようとする試みです。この時代の芸術を輪切りにして展観することで、新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。磯崎新、赤瀬川原平、高松次郎、0次元、横尾忠則、宇野亜喜良、寺山修司、唐十郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、土方巽、林静一、森山大道、関根伸夫ら個性的な顔ぶれが縦横無尽に活躍した時代の熱い時代でした。

2018年9月21日金曜日

ご近所から柿を頂きました。食べる前に柿に敬意を表して絵手紙「葉書サイズ」のスケッチしました。素人絵でごめんなさい。 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規」 「少年の跳んで走つて柿に色  奥田節子」

ご近所から柿を頂きました。食べる前に柿に敬意を表して絵手紙「葉書サイズ」のスケッチしました。素人絵でごめんなさい。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規」
「少年の跳んで走つて柿に色  奥田節子」

「象徴天皇の源流 今谷明」を読む。 ○ 日本の天皇のあり方は、諸外国の王政と比べても極めて特異なものである。 その特色は、千年も以前から、「不執政王」が伝統となっている事である。 ○ 天皇制は早くから権威と権力が分離し、天皇自ら政治を執ることは古来希であった。 本書は中世史専攻の著者が、桓武帝まで遡って「象徴天皇」の源流を解き明かす試みである。 この書では奈良・平安を中心とした時代の解説である。室町の足利義満の頃が最も天皇の権威が低下した時代であった。戦国大名が天皇の名で停戦命令を出したので戦国期には天皇権威が上昇したとの指摘は興味深い。。

「象徴天皇の源流 今谷明」を読む。
○ 日本の天皇のあり方は、諸外国の王政と比べても極めて特異なものである。
その特色は、千年も以前から、「不執政王」が伝統となっている事である。
○ 天皇制は早くから権威と権力が分離し、天皇自ら政治を執ることは古来希であった。
本書は中世史専攻の著者が、桓武帝まで遡って「象徴天皇」の源流を解き明かす試みである。
この書では奈良・平安を中心とした時代の解説である。室町の足利義満の頃が最も天皇の権威が低下した時代であった。戦国大名が天皇の名で停戦命令を出したので戦国期には天皇権威が上昇したとの指摘は興味深い。。

「中世奇人列伝 今谷明」を読む。 ここで採り上げられている人物は歴史の表面に現れない人ばかりだが、数奇な運命を辿った人達ばかりだ。 日本史上最も魅力的な時代=中世には、幾人もの知られざる才人、奇人が埋もれていた。人名事典にさえ載っていないかれらの知られざる業績、型破りな生涯を膨大な史料から掘り起こした、著者の労作である。 ○鎌倉幕府に楯突き壮絶な最期を遂げた承久の乱の黒幕“法印尊長(1166~1227)。 ○政治に深入りした歌人、配所で没、京極為兼(1254~1332)。 ○中国をさすらい刑死の憂き目を詩を唱えることで免れた傑僧“雪村友梅”(1290~346)。 ○室町時代、北朝の政治危機を収拾した女性広義門院(1292~1357)。 ○室町時代飢民救済に力を尽くした勧進聖、願阿弥(?~1486)。 ○将軍廃立後再任し、阿波国撫養(現在の鳴門市)で死去した。影の薄い将軍であった。足利義稙(1466~1523)。

「中世奇人列伝 今谷明」を読む。
ここで採り上げられている人物は歴史の表面に現れない人ばかりだが、数奇な運命を辿った人達ばかりだ。
日本史上最も魅力的な時代=中世には、幾人もの知られざる才人、奇人が埋もれていた。人名事典にさえ載っていないかれらの知られざる業績、型破りな生涯を膨大な史料から掘り起こした、著者の労作である。

○鎌倉幕府に楯突き壮絶な最期を遂げた承久の乱の黒幕“法印尊長(1166~1227)。
○政治に深入りした歌人、配所で没、京極為兼(1254~1332)。
○中国をさすらい刑死の憂き目を詩を唱えることで免れた傑僧“雪村友梅”(1290~346)。
○室町時代、北朝の政治危機を収拾した女性広義門院(1292~1357)。
○室町時代飢民救済に力を尽くした勧進聖、願阿弥(?~1486)。
○将軍廃立後再任し、阿波国撫養(現在の鳴門市)で死去した。影の薄い将軍であった。足利義稙(1466~1523)。

「草庵生活と放浪の詩人 大星光史」を読む。 ○ 私は良寛、一茶について若干の知識はあったが、木喰、井月については殆ど知らなかった。「木喰」についてはNHK日曜美術館で放映され、最近知った。 ○ “物や金がなくとも、人間はけっこう幸せだ。”自然と親しみ、風雅を愛した良寛。一茶、木喰、井月など放浪詩人達の、限りなく自由で気ままに生きた人生から、現代人が忘れかけている豊かな人間性、生き方の新鮮さ、本当の幸せの度合いとは何かを学ぶ。 ○行乞と隠栖 良寛(1758年 - 1831年)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。 良寛は読書、禅、詩作の僧であったが、踊りをも楽しんだ。 「風は清し月はさやけし いざともに踊りあかさん老いのなごりに」 「形見とて何か残さむ春は花夏ほとぎす秋はもみじ葉」 ○放浪人生 小林 一茶(1763年- 1828年)は信濃国柏原で中農の子として生まれた。 本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。 「我と来て遊べや親のない雀」 「継つ子や灰にいろはの寒ならひ」 「大の字に寝に坊て涼しさよ寂しさよ」 「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」 「目出度さもちう位也おらが春」 ○行脚僧 木喰( 1718年)- 1810年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。木喰は笑顔を愛し微笑(みしょう)仏を彫り続けた。微笑とは仏の慈悲である。 木喰は日本全国におびただしい数の遺品が残る、93歳の生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧などと称した。 「そば切や いかなる人のながれぞや よりくる人の九ぜん十ぜん」 「まるまると まるめまるめよ わが心 まん丸丸く 丸くまん丸」 ○乞食俳人 井上 井月(1822年)? - 1887年)は、19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。 「来る風を涼しくうける簾かな」 「名月や院に召さるる白拍子」

「草庵生活と放浪の詩人 大星光史」を読む。
○ 私は良寛、一茶について若干の知識はあったが、木喰、井月については殆ど知らなかった。「木喰」についてはNHK日曜美術館で放映され、最近知った。
○ “物や金がなくとも、人間はけっこう幸せだ。”自然と親しみ、風雅を愛した良寛。一茶、木喰、井月など放浪詩人達の、限りなく自由で気ままに生きた人生から、現代人が忘れかけている豊かな人間性、生き方の新鮮さ、本当の幸せの度合いとは何かを学ぶ。

○行乞と隠栖 良寛(1758年 - 1831年)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
良寛は読書、禅、詩作の僧であったが、踊りをも楽しんだ。
「風は清し月はさやけし いざともに踊りあかさん老いのなごりに」
「形見とて何か残さむ春は花夏ほとぎす秋はもみじ葉」

○放浪人生 小林 一茶(1763年- 1828年)は信濃国柏原で中農の子として生まれた。
本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。
「我と来て遊べや親のない雀」
「継つ子や灰にいろはの寒ならひ」
「大の字に寝に坊て涼しさよ寂しさよ」
「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」
「目出度さもちう位也おらが春」

○行脚僧 木喰( 1718年)- 1810年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。木喰は笑顔を愛し微笑(みしょう)仏を彫り続けた。微笑とは仏の慈悲である。
木喰は日本全国におびただしい数の遺品が残る、93歳の生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧などと称した。
「そば切や いかなる人のながれぞや よりくる人の九ぜん十ぜん」
「まるまると まるめまるめよ わが心 まん丸丸く 丸くまん丸」

○乞食俳人 井上 井月(1822年)? - 1887年)は、19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
「来る風を涼しくうける簾かな」
「名月や院に召さるる白拍子」

9月21日(金)千葉市は22 ℃ 雨、曇の予報です。 皆さまのご健康を祈ります。ご近所の花壇に朝顔が咲いています。 「朝顔に釣瓶とられてもらひ水 加賀千代女」 「朝がほや一輪深き淵の色  与謝蕪村」 「朝顔の紺の彼方の月日かな 石田波郷」 September 21 (Friday ) Chiba's 22℃ forecast is rain,cloudy Dear friend Have a nice day. Morning glory is bloomed in my neighborhood flower beds.

9月21日(金)千葉市は22 ℃  雨、曇の予報です。
皆さまのご健康を祈ります。ご近所の花壇に朝顔が咲いています。

「朝顔に釣瓶とられてもらひ水 加賀千代女」
「朝がほや一輪深き淵の色    与謝蕪村」
「朝顔の紺の彼方の月日かな 石田波郷」

September 21 (Friday ) Chiba's 22℃  forecast  is  rain,cloudy
Dear friend Have a nice day.
Morning glory is bloomed in my neighborhood flower beds.

2018年9月20日木曜日

「木喰巡礼 木喰会編」を読む。 ○ 木喰( 1718年)- 1810年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。木喰は笑顔を愛し微笑(みしょう)仏を彫り続けた。微笑とは仏の慈悲である。 ○ 円空と並び称される木喰は、人生の晩期を迎えた56才から日本回国の第一歩を踏み出し、93才の老いの身をどこかの旅空で果てるまで37年間の放浪遊行の生涯を全うした。その間千体を超える仏像を刻んだ。その木喰の心と足跡を追って全国各地に残る木喰仏を撮影、詳細な解説を付した木喰仏写真集である。

「木喰巡礼 木喰会編」を読む。
○ 木喰( 1718年)- 1810年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。木喰は笑顔を愛し微笑(みしょう)仏を彫り続けた。微笑とは仏の慈悲である。
○ 円空と並び称される木喰は、人生の晩期を迎えた56才から日本回国の第一歩を踏み出し、93才の老いの身をどこかの旅空で果てるまで37年間の放浪遊行の生涯を全うした。その間千体を超える仏像を刻んだ。その木喰の心と足跡を追って全国各地に残る木喰仏を撮影、詳細な解説を付した木喰仏写真集である。