「草庵生活と放浪の詩人 大星光史」を読む。
○ 私は良寛、一茶について若干の知識はあったが、木喰、井月については殆ど知らなかった。「木喰」についてはNHK日曜美術館で放映され、最近知った。
○ “物や金がなくとも、人間はけっこう幸せだ。”自然と親しみ、風雅を愛した良寛。一茶、木喰、井月など放浪詩人達の、限りなく自由で気ままに生きた人生から、現代人が忘れかけている豊かな人間性、生き方の新鮮さ、本当の幸せの度合いとは何かを学ぶ。
○行乞と隠栖 良寛(1758年 - 1831年)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
良寛は読書、禅、詩作の僧であったが、踊りをも楽しんだ。
「風は清し月はさやけし いざともに踊りあかさん老いのなごりに」
「形見とて何か残さむ春は花夏ほとぎす秋はもみじ葉」
○放浪人生 小林 一茶(1763年- 1828年)は信濃国柏原で中農の子として生まれた。
本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。
「我と来て遊べや親のない雀」
「継つ子や灰にいろはの寒ならひ」
「大の字に寝に坊て涼しさよ寂しさよ」
「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」
「目出度さもちう位也おらが春」
○行脚僧 木喰( 1718年)- 1810年)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。木喰は笑顔を愛し微笑(みしょう)仏を彫り続けた。微笑とは仏の慈悲である。
木喰は日本全国におびただしい数の遺品が残る、93歳の生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧などと称した。
「そば切や いかなる人のながれぞや よりくる人の九ぜん十ぜん」
「まるまると まるめまるめよ わが心 まん丸丸く 丸くまん丸」
○乞食俳人 井上 井月(1822年)? - 1887年)は、19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
「来る風を涼しくうける簾かな」
「名月や院に召さるる白拍子」
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