2018年9月20日木曜日

9月20日NHKBSプレミアム英雄たちの選択選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」を見る。 ○幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びたのが佐賀藩主・鍋島閑叟(1815~1871 享年56歳)。ペリー来航以前から海防に力を注ぎ、鉄製大砲や蒸気船、電信機などを独力で製造、幕末最強の軍事力を持つに至っていた。その力をもって雄藩連合に付くか、幕府側に立つか、それとも。 しかし、閑叟はなかなか決断を下さず、ひたすら技術開発に力を注ぎ続ける。最強の武力を持ってしまったからこその葛藤と決断とは。 ○ 鳥羽・伏見の戦いの時に薩摩藩からは佐賀征伐を主張する声が挙がったが、薩長(薩摩藩・長州藩)側が勝利に終わって以降は上京した佐賀藩も新政府軍に加わり、戊辰戦争における上野彰義隊との戦いから五稜郭の戦いまで、最新式の兵器を装備した佐賀藩の活躍は大きかった。明治政府が近代化を推し進める上で、鍋島閑叟が育てた人材の活躍は大きく、鍋島閑叟自身も議定に就任する。これらにより、討幕運動には不熱心であった佐賀藩であったが、薩長土肥の一角を担う事となった

9月20日NHKBSプレミアム英雄たちの選択選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」を見る。
○幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びたのが佐賀藩主・鍋島閑叟(1815~1871 享年56歳)。ペリー来航以前から海防に力を注ぎ、鉄製大砲や蒸気船、電信機などを独力で製造、幕末最強の軍事力を持つに至っていた。その力をもって雄藩連合に付くか、幕府側に立つか、それとも。
しかし、閑叟はなかなか決断を下さず、ひたすら技術開発に力を注ぎ続ける。最強の武力を持ってしまったからこその葛藤と決断とは。
○ 鳥羽・伏見の戦いの時に薩摩藩からは佐賀征伐を主張する声が挙がったが、薩長(薩摩藩・長州藩)側が勝利に終わって以降は上京した佐賀藩も新政府軍に加わり、戊辰戦争における上野彰義隊との戦いから五稜郭の戦いまで、最新式の兵器を装備した佐賀藩の活躍は大きかった。明治政府が近代化を推し進める上で、鍋島閑叟が育てた人材の活躍は大きく、鍋島閑叟自身も議定に就任する。これらにより、討幕運動には不熱心であった佐賀藩であったが、薩長土肥の一角を担う事となった

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