「温泉の日本史 石川理夫」を読む。
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王 万葉集1~8」
熟田津は愛媛県松山市、道後温泉付近であるとされている。
○「神の湯」と神聖視された古代から、天下泰平で花開いた江戸期の入浴文化、そして近現代の発展まで。温泉エピソードを語る。
○ 日本人と温泉の関わりは古く、三古湯と称される道後・有馬・白浜温泉は『日本書紀』にも出てくる。中世には箱根・熱海・草津・別府などの名湯が歴史の表舞台に現れた。武田信玄ら戦国大名が直轄した領国内の温泉地は「隠し湯」として知られる。江戸時代に入ると大名や藩士、幕臣らはこぞって湯治旅を楽しむようになり、旅行案内書や温泉番付が登場。初の秘湯ブームも到来した。
○ 万葉集の「熟田津」の昔から中世の「隠し湯」や村の共有財産的だった温泉の転換点になったのは江戸時代に大衆化して大衆化し娯楽になっていく。
明治の地租改正で公有地と私有地の峻別が進む中、入会権扱いだった温泉の存続が危機危に瀕した。そして時代と共に外湯中心の温泉場から内湯の温泉街への進化する。
やがて温泉は自噴の源泉から動力汲み上げの源泉への転換する。温煙の向こうで本質的な「公共財としての温泉」を見直す視点が新鮮である。
2018年9月5日水曜日
「温泉の日本史 石川理夫」を読む。 「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王 万葉集1~8」 熟田津は愛媛県松山市、道後温泉付近であるとされている。 ○「神の湯」と神聖視された古代から、天下泰平で花開いた江戸期の入浴文化、そして近現代の発展まで。温泉エピソードを語る。 ○ 日本人と温泉の関わりは古く、三古湯と称される道後・有馬・白浜温泉は『日本書紀』にも出てくる。中世には箱根・熱海・草津・別府などの名湯が歴史の表舞台に現れた。武田信玄ら戦国大名が直轄した領国内の温泉地は「隠し湯」として知られる。江戸時代に入ると大名や藩士、幕臣らはこぞって湯治旅を楽しむようになり、旅行案内書や温泉番付が登場。初の秘湯ブームも到来した。 ○ 万葉集の「熟田津」の昔から中世の「隠し湯」や村の共有財産的だった温泉の転換点になったのは江戸時代に大衆化して大衆化し娯楽になっていく。 明治の地租改正で公有地と私有地の峻別が進む中、入会権扱いだった温泉の存続が危機危に瀕した。そして時代と共に外湯中心の温泉場から内湯の温泉街への進化する。 やがて温泉は自噴の源泉から動力汲み上げの源泉への転換する。温煙の向こうで本質的な「公共財としての温泉」を見直す視点が新鮮である。
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