「帝国ホテル厨房物語 村上信夫」を読む。
帝国ホテル料理長ムッシュ村上の自伝である。つらく厳しい環境でも全力投球で前向きに取り組む姿勢が周りの人を動かし、評価されていく様が数々の人情味溢れるエピソードと共に痛快に描かれている。
村上信夫さん(1921~2005)は戦前の決して裕福ではない家庭に生まれて料理人を志し、帝国ホテル入社直後に戦争を経験して復員後、苦労の末に帝国ホテル総料理長になられた。
○ 陸軍入隊時には、帝國ホテルの先輩の餞別のフライパンと包丁を持参した。本来は軍隊に私物の持ちこみは一切許されないが、野戦調理に有用と認められ特別に所持が許可された。従軍時代には経歴から何度か調理任務への異動勧誘があったが、本人が前線勤務を希望し、また歩兵砲の砲手として有能だったため上官が拒否していた。
○ 非公式に炊事係も兼任し、敵陣への総攻撃前夜に兵士たちに出す特別料理を作るよう命令されて餞別のフライパンでカレーを作ったところ、漂う匂いに気づいた中国軍の指揮官が翌日の大攻勢を予測して夜中に撤退した。
○ 戦後シベリア拘留から生還し、帝国ホテルの厨房に戻る。その後石丸社長に見込まれフランスに留学する。
○ またNHKの料理番組「きょうの料理」に出演、「フランス料理風家庭料理」をお教える事となった。
○ 1964年の東京オリンピックでは選手村料理長となり各国選手の希望に答え腕を振るう。
○ 1970年帝国ホテルの取締役に就任する。
村上信夫さんは生来とても運の強い人と思われたが、偉くなった後でも続けた料理の勉強や、海外留学、後人の育成など、プロとしてのたゆまぬ努力があったからこそ強運を引き寄せた。
○ 写真が多く挿し絵もしゃれていてムッシュの雰囲気が良く伝わってくる。
2018年9月7日金曜日
「帝国ホテル厨房物語 村上信夫」を読む。 帝国ホテル料理長ムッシュ村上の自伝である。つらく厳しい環境でも全力投球で前向きに取り組む姿勢が周りの人を動かし、評価されていく様が数々の人情味溢れるエピソードと共に痛快に描かれている。 村上信夫さん(1921~2005)は戦前の決して裕福ではない家庭に生まれて料理人を志し、帝国ホテル入社直後に戦争を経験して復員後、苦労の末に帝国ホテル総料理長になられた。 ○ 陸軍入隊時には、帝國ホテルの先輩の餞別のフライパンと包丁を持参した。本来は軍隊に私物の持ちこみは一切許されないが、野戦調理に有用と認められ特別に所持が許可された。従軍時代には経歴から何度か調理任務への異動勧誘があったが、本人が前線勤務を希望し、また歩兵砲の砲手として有能だったため上官が拒否していた。 ○ 非公式に炊事係も兼任し、敵陣への総攻撃前夜に兵士たちに出す特別料理を作るよう命令されて餞別のフライパンでカレーを作ったところ、漂う匂いに気づいた中国軍の指揮官が翌日の大攻勢を予測して夜中に撤退した。 ○ 戦後シベリア拘留から生還し、帝国ホテルの厨房に戻る。その後石丸社長に見込まれフランスに留学する。 ○ またNHKの料理番組「きょうの料理」に出演、「フランス料理風家庭料理」をお教える事となった。 ○ 1964年の東京オリンピックでは選手村料理長となり各国選手の希望に答え腕を振るう。 ○ 1970年帝国ホテルの取締役に就任する。 村上信夫さんは生来とても運の強い人と思われたが、偉くなった後でも続けた料理の勉強や、海外留学、後人の育成など、プロとしてのたゆまぬ努力があったからこそ強運を引き寄せた。 ○ 写真が多く挿し絵もしゃれていてムッシュの雰囲気が良く伝わってくる。
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