2018年8月18日土曜日

「大正美人伝 林きむ子の生涯 森まゆみ」を読む。 ○ 「林 きむ子」(明治17年(1884年)12月1日 - 昭和42年(1967年)2月2日 享年82歳)は舞踏家、作家、社会運動家、実業家として活躍した。 ○ 「林きむ子」は鹿鳴館時代に生を享け、九条武子・柳原燁子(白蓮)と並び「大正三美人」と称された。 ○ 新橋の料亭の娘であった「きむ子」は1904年に政友会の衆議院議員・日向輝武と結婚し田端の「蛇御殿」で6児の母になる。「蛇御殿」とは「きむ子」が蛇を愛育していたとされるので、そのように呼ばれた。 ○ しかし大浦事件(疑獄事件)によって夫・日向輝武は狂死してしまう。 ○ 「きむ子」は夫が死んで1年以内に9歳年下の童謡詩人の林柳波と1919年1月に再婚した。友人や親戚の反対押しきって再婚した事はスキャンダルとして大きな話題となった。 しかし「平塚らいてふ」は恋愛によって成立した結婚は、極めて道徳的である。と弁護論を張った。 ○ 「林きむ子」は歌集や随筆集の出版、美容液の開発、再婚、舞踊の新流派樹立と逆境をものともせず八面六臂の活動をした。「林きむ子」は1966年に勲五等瑞宝賞を受賞する。 この書はきむ子の波乱に富んだ生涯を紡いだ力作である。

「大正美人伝 林きむ子の生涯 森まゆみ」を読む。
○ 「林 きむ子」(明治17年(1884年)12月1日 - 昭和42年(1967年)2月2日 享年82歳)は舞踏家、作家、社会運動家、実業家として活躍した。
○ 「林きむ子」は鹿鳴館時代に生を享け、九条武子・柳原燁子(白蓮)と並び「大正三美人」と称された。
○ 新橋の料亭の娘であった「きむ子」は1904年に政友会の衆議院議員・日向輝武と結婚し田端の「蛇御殿」で6児の母になる。「蛇御殿」とは「きむ子」が蛇を愛育していたとされるので、そのように呼ばれた。
○ しかし大浦事件(疑獄事件)によって夫・日向輝武は狂死してしまう。
○ 「きむ子」は夫が死んで1年以内に9歳年下の童謡詩人の林柳波と1919年1月に再婚した。友人や親戚の反対押しきって再婚した事はスキャンダルとして大きな話題となった。
しかし「平塚らいてふ」は恋愛によって成立した結婚は、極めて道徳的である。と弁護論を張った。
○ 「林きむ子」は歌集や随筆集の出版、美容液の開発、再婚、舞踊の新流派樹立と逆境をものともせず八面六臂の活動をした。「林きむ子」は1966年に勲五等瑞宝賞を受賞する。
この書はきむ子の波乱に富んだ生涯を紡いだ力作である。

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