2018年8月16日木曜日

「十字架を背負ったピエロ 狐狸案先生と遠藤周作 上総英郎」 遠藤周作氏は二つの顔を持つ作家と思われている。 ○ 遠藤周作氏は自ら語る。 私はよく二つの顔を持っていると言われる。すなわち遠藤周作という顔と、狐狸庵山人の顔である。まるでジキルとハイドのような二重人格者みたいな話だが、当人はそんな気持ちは毛頭ない。私はただ深刻な顔をする作家になりたくない。一人で小説を書く以外は友人や仲間と陽気に騒ぎたいだけだ。 ○ 優れた、上質のユーモアは哀愁を伴うものだ。哀愁を伴わないギャグは、単なるドタバタ喜劇に過ぎない。 ○ 遠藤周作氏は敬虔なカトリック信者である。それ故に「沈黙」や「死海のほとり」のような優れたキリスト教文学が書けたのだ。 ○ 戒律の多いユダヤの世界に、もっと暖かい人間の血を通わせようとしたのがイエス・キリストの教えなのだ。

「十字架を背負ったピエロ 狐狸案先生と遠藤周作 上総英郎」
遠藤周作氏は二つの顔を持つ作家と思われている。
○ 遠藤周作氏は自ら語る。
私はよく二つの顔を持っていると言われる。すなわち遠藤周作という顔と、狐狸庵山人の顔である。まるでジキルとハイドのような二重人格者みたいな話だが、当人はそんな気持ちは毛頭ない。私はただ深刻な顔をする作家になりたくない。一人で小説を書く以外は友人や仲間と陽気に騒ぎたいだけだ。
○ 優れた、上質のユーモアは哀愁を伴うものだ。哀愁を伴わないギャグは、単なるドタバタ喜劇に過ぎない。
○ 遠藤周作氏は敬虔なカトリック信者である。それ故に「沈黙」や「死海のほとり」のような優れたキリスト教文学が書けたのだ。
○ 戒律の多いユダヤの世界に、もっと暖かい人間の血を通わせようとしたのがイエス・キリストの教えなのだ。

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