2018年8月26日日曜日

「叛アメリカ史 豊浦志朗」を読む。 ○「正史=教科書に書かれた歴史」は首尾一貫している。強いものが勝つ。勝ったものが正しい。 叛史とは正史の対極にある概念である。 ○ アメリカ合衆国の正史はコロンブスの新大陸発見から始まる。 コロンブスがアメリカ大陸に第一歩踏み出した日、彼は航海日記に「原住民は賢こそうだ。きっと良い奴隷になるだろう。」 ○「叛」アメリカ史とは民主主義の華々しきアメリカ建設の陰に抹殺されていった存在である「アメリカインディアン」、「黒人」、「日系人」、「メキシコ人」たちの苦痛と彼らのアメリカへの反抗である。 ○ 叛アメリカ史の巻頭はアメリカインディアンの闘いである。 アメリカ合衆国の成り立ちは西へ西へと領土を拡大する事がすべての歴史であった。 その行く手を阻むアメリカインディアンを武力で押さえつけ、進められた血の匂いのする領土拡大が国の基本であった。 ○ アメリカインディアンは『過去』を奪還することを目的としている。 すなわち、白人たちがやってきて殺戮と収奪の果てに国家を築きあげる前の状態「偉大なる精霊」とともに暮らした日々に還ることを夢みている。つまり、アメリカ合衆国をみずからの国家とは認めていないのだ。 ○ アメリカインディアンに次いで著者は黒人の戦いとしてのブラック・パワーの高揚、黒人解放運動の「公民権」運動をM・L・キングを頂点とする活動を語る。 ○ 黒人たちはヴェトナム戦争が激化して白人の平和主義者たちが北爆反対を叫ぶまでは、ヴェトナム戦争に触れないことが唯一の方法であった。同時に「ブラック・ムスリム」はこの戦争に対して、白人たちが勝手にやっている戦争だから、黒い「民族」はあずかり知らぬ問題だと処理する以外になかった。 ○ アメリカへの移民問題では移民らが歩んだ道は人種差別の中での歩みであり、第二次世界大戦下では「強制収容所」でのアメリカ合衆国への同化化、あくまで拒否かと言う問題であった。しかし、日本人移民がアメリカ国内で叛アメリカの陣営に立つことはなかった。それについて著者は還るべき国を持たなかった、すなわち反撃するための魂の後方基地を持たなかったという点を挙げている。

「叛アメリカ史 豊浦志朗」を読む。
○「正史=教科書に書かれた歴史」は首尾一貫している。強いものが勝つ。勝ったものが正しい。 叛史とは正史の対極にある概念である。
○ アメリカ合衆国の正史はコロンブスの新大陸発見から始まる。
コロンブスがアメリカ大陸に第一歩踏み出した日、彼は航海日記に「原住民は賢こそうだ。きっと良い奴隷になるだろう。」
○「叛」アメリカ史とは民主主義の華々しきアメリカ建設の陰に抹殺されていった存在である「アメリカインディアン」、「黒人」、「日系人」、「メキシコ人」たちの苦痛と彼らのアメリカへの反抗である。
○ 叛アメリカ史の巻頭はアメリカインディアンの闘いである。
アメリカ合衆国の成り立ちは西へ西へと領土を拡大する事がすべての歴史であった。
その行く手を阻むアメリカインディアンを武力で押さえつけ、進められた血の匂いのする領土拡大が国の基本であった。
○ アメリカインディアンは『過去』を奪還することを目的としている。
すなわち、白人たちがやってきて殺戮と収奪の果てに国家を築きあげる前の状態「偉大なる精霊」とともに暮らした日々に還ることを夢みている。つまり、アメリカ合衆国をみずからの国家とは認めていないのだ。
○ アメリカインディアンに次いで著者は黒人の戦いとしてのブラック・パワーの高揚、黒人解放運動の「公民権」運動をM・L・キングを頂点とする活動を語る。
○ 黒人たちはヴェトナム戦争が激化して白人の平和主義者たちが北爆反対を叫ぶまでは、ヴェトナム戦争に触れないことが唯一の方法であった。同時に「ブラック・ムスリム」はこの戦争に対して、白人たちが勝手にやっている戦争だから、黒い「民族」はあずかり知らぬ問題だと処理する以外になかった。
○ アメリカへの移民問題では移民らが歩んだ道は人種差別の中での歩みであり、第二次世界大戦下では「強制収容所」でのアメリカ合衆国への同化化、あくまで拒否かと言う問題であった。しかし、日本人移民がアメリカ国内で叛アメリカの陣営に立つことはなかった。それについて著者は還るべき国を持たなかった、すなわち反撃するための魂の後方基地を持たなかったという点を挙げている。

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