2018年8月12日日曜日

「恋の手紙 愛の手紙 半藤一利」を読む。 ○手紙にはその人らしさが最もよく表れる。ましてやそれが恋人や家族に宛てたものなら尚更だ。人を愛する時の気持ちは今も昔も変わりはない。 ○ 多くの作家らと親交のあった文芸春秋の元編集者であった著者が彼らとの交際の中に聞いたエピソードを書いているので作家たちの素顔に触れたように思う。 そして恋文をもらう女性たちにインスピレーションを貰い、多くの名作が生まれたのだろう。 ○ その気持ちを表した文面には、その人の作風がそのまま表れているものもあれば、お堅い肩書とは違った微笑ましい文体のものあり面白い。 ○ 磯部浅一は元陸軍将校、2.2.6事件に加わり死刑になる。 辞世「国民よ 国をおもひて 狂となり 痴となるほどに 国を愛せよ」 ○ 聖将と呼ばれた、山本五十六提督にも秘めたる恋があった。 ○ 恋に年齢なし。「老いらくの恋」が流行語になったのは、戦後まもない1948年暮れ。元住友合資会社常務理事で歌人の川田順が、娘ほど年下の弟子だった大学教授夫人と恋に落ち、自殺覚悟の上で家出した。その時残した歌が「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」。川田は66歳。当時の男性の平均寿命は55・6歳だった。 ○ 「数ならぬ身とな思ひそ玉祭り 芭蕉」  元禄7年7月15日、伊賀上野での松尾家の盂蘭盆(魂祭=玉祭)で寿貞にささげた句だった。芭蕉51歳。寿貞の訃報の4か月後、芭蕉逝く(10月12日)。 寿貞は、我が身を「数ならぬ身」と思うような境涯だったのだろうか。 芭蕉は「そんな風に思ってくれるな」と慈しんでいる。玉祭りは魂祭りで、盂蘭盆(うらぼん)の行事。芭蕉と寿貞との間に何があったかわからないが、芭蕉の寿貞への切ない思いが伝わってくる。  ーーーーーーーーーーーーーー ○ 第一章 許されざる恋の果て 佐藤春夫、谷崎潤一郎、芥川龍之介、抱月と須磨子、川田順、山本五十六、斎藤茂吉、竹久夢二、太宰治 ーーーーーーーーーーーーーー ○ 第二章 恋物語 芥川龍之介、島崎藤村、北村透谷、堀辰雄、樋口一葉、高見順、岡倉天心 ーーーーーーーーーーーーーー ○ 第三章 家族を想う 夏目鏡子、森鴎外、横光利一、大宅壮一、高村光太郎、磯部浅一、坂口安吾 ーーーーーーーーーーーーーー ○ 第四章 日本の愛 小野寺十内、光源氏と紫の上、芭蕉翁、坂本龍馬とお龍、小林一茶、皇女和宮と将軍家茂、武田勝頼夫人の願文、秀吉から淀どのへ。

「恋の手紙 愛の手紙 半藤一利」を読む。
○手紙にはその人らしさが最もよく表れる。ましてやそれが恋人や家族に宛てたものなら尚更だ。人を愛する時の気持ちは今も昔も変わりはない。
○ 多くの作家らと親交のあった文芸春秋の元編集者であった著者が彼らとの交際の中に聞いたエピソードを書いているので作家たちの素顔に触れたように思う。
そして恋文をもらう女性たちにインスピレーションを貰い、多くの名作が生まれたのだろう。
○ その気持ちを表した文面には、その人の作風がそのまま表れているものもあれば、お堅い肩書とは違った微笑ましい文体のものあり面白い。
○ 磯部浅一は元陸軍将校、2.2.6事件に加わり死刑になる。
辞世「国民よ 国をおもひて 狂となり 痴となるほどに 国を愛せよ」
○ 聖将と呼ばれた、山本五十六提督にも秘めたる恋があった。
○ 恋に年齢なし。「老いらくの恋」が流行語になったのは、戦後まもない1948年暮れ。元住友合資会社常務理事で歌人の川田順が、娘ほど年下の弟子だった大学教授夫人と恋に落ち、自殺覚悟の上で家出した。その時残した歌が「墓場に近き老いらくの恋は怖るる何もなし」。川田は66歳。当時の男性の平均寿命は55・6歳だった。
○ 「数ならぬ身とな思ひそ玉祭り 芭蕉」
 元禄7年7月15日、伊賀上野での松尾家の盂蘭盆(魂祭=玉祭)で寿貞にささげた句だった。芭蕉51歳。寿貞の訃報の4か月後、芭蕉逝く(10月12日)。 寿貞は、我が身を「数ならぬ身」と思うような境涯だったのだろうか。
芭蕉は「そんな風に思ってくれるな」と慈しんでいる。玉祭りは魂祭りで、盂蘭盆(うらぼん)の行事。芭蕉と寿貞との間に何があったかわからないが、芭蕉の寿貞への切ない思いが伝わってくる。 
ーーーーーーーーーーーーーー
○ 第一章 許されざる恋の果て
佐藤春夫、谷崎潤一郎、芥川龍之介、抱月と須磨子、川田順、山本五十六、斎藤茂吉、竹久夢二、太宰治
ーーーーーーーーーーーーーー
○ 第二章 恋物語
芥川龍之介、島崎藤村、北村透谷、堀辰雄、樋口一葉、高見順、岡倉天心
ーーーーーーーーーーーーーー
○ 第三章 家族を想う
夏目鏡子、森鴎外、横光利一、大宅壮一、高村光太郎、磯部浅一、坂口安吾
ーーーーーーーーーーーーーー
○ 第四章 日本の愛
小野寺十内、光源氏と紫の上、芭蕉翁、坂本龍馬とお龍、小林一茶、皇女和宮と将軍家茂、武田勝頼夫人の願文、秀吉から淀どのへ。

0 件のコメント: