2016年10月29日土曜日

大阪の通天閣ができた頃は東京タワーもなかった。通天閣は大阪人の誇りだ。今私は千葉市に住んでいるが、浪速八十八橋の町の生まれです。当時の大阪は水も空気も美味しかった。 初代通天閣はパリのエッフェル塔を模して1912年に建てられた。 ○ 大阪・新世界の通天閣が10月28日、再建から60周年を迎え、記念式典があった。この日は「ツーテン」の語呂に合わせ、通常は幼児・小学生が300円、大人700円などの入場料が一律210円に下げられ、大阪のシンボルの還暦を祝った。  展望台であった式典では、運営する通天閣観光の西上雅章社長が「山あり谷ありの60年。皆様に愛されてこの日を迎えられた」と話し、ビリケンさんの前でくす玉を割った。  2012年にできた初代は戦争中の1943年に火災に遭って解体。56年に今の2代目が完成した。今月1日には避雷針が5メートル高くなり、高さは108メートルになった。  開業当初の入場者数は年間100万~150万人台だったが、1975年度は約19万人まで低落。だが営業努力や外国人客増で2007年度に100万人台を突破。今年度も10年連続で100万人超えのペースという。

大阪の通天閣ができた頃は東京タワーもなかった。通天閣は大阪人の誇りだ。今私は千葉市に住んでいるが、浪速八十八橋の町の生まれです。当時の大阪は水も空気も美味しかった。
初代通天閣はパリのエッフェル塔を模して1912年に建てられた。
○ 大阪・新世界の通天閣が10月28日、再建から60周年を迎え、記念式典があった。この日は「ツーテン」の語呂に合わせ、通常は幼児・小学生が300円、大人700円などの入場料が一律210円に下げられ、大阪のシンボルの還暦を祝った。
 展望台であった式典では、運営する通天閣観光の西上雅章社長が「山あり谷ありの60年。皆様に愛されてこの日を迎えられた」と話し、ビリケンさんの前でくす玉を割った。
 2012年にできた初代は戦争中の1943年に火災に遭って解体。56年に今の2代目が完成した。今月1日には避雷針が5メートル高くなり、高さは108メートルになった。
 開業当初の入場者数は年間100万~150万人台だったが、1975年度は約19万人まで低落。だが営業努力や外国人客増で2007年度に100万人台を突破。今年度も10年連続で100万人超えのペースという。

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