2016年6月24日金曜日

「原節子伝説 千葉伸夫」を読む。 原節子さん(1920〜2015)の映画を随分見ました。彼女は1945年「青い山脈」では敗戦で打ちのめされた私たちに希望をプレゼントしてくれました。1959年「日本誕生」では天照大神を演じられました。もう高貴な女優さんでしたね。 本書の最もユニークな点は、原節子さんが女優としてデビューした1934年から女優業を止める1962年まで、ほぼ毎年の出演作のスチール写真と報道写真、そして新聞や雑誌に載ったインタビューの抜粋や自筆の小文などが巧みに配置されている点にある。写真はファンであればだれでも一度は見たことのあるものが大半であるが、エッセイ等の方は膨大な資料から筆者が厳選したと思われる、とても印象的で気の利いたものばかりである。このエッセイ部門が本書に至高の資料的価値を与えているのは間違いなく、本書をもって「原節子写真集」の最高峰かも知れない。 彼女の出演作でフィルムが現存する最古の映画作品は「河内山宗俊」(1936年日活)で監督は山中貞雄。山中はその2年後に出征して中支であえなく戦病死。山中と親友だった小津安二郎もそのころ中支を転戦していたがなんとか生きて帰ることができた。その小津が「河内山宗俊」で原を見初めて、自作への出演を構想して戦後の「晩春」で結実するのも有名なお話。今頃原節子さんは山中、小津、成瀬監督たちと天国で再会して旧交を温めているのでしょう。

「原節子伝説    千葉伸夫」を読む。
原節子さん(1920〜2015)の映画を随分見ました。彼女は1945年「青い山脈」では敗戦で打ちのめされた私たちに希望をプレゼントしてくれました。1959年「日本誕生」では天照大神を演じられました。もう高貴な女優さんでしたね。
本書の最もユニークな点は、原節子さんが女優としてデビューした1934年から女優業を止める1962年まで、ほぼ毎年の出演作のスチール写真と報道写真、そして新聞や雑誌に載ったインタビューの抜粋や自筆の小文などが巧みに配置されている点にある。写真はファンであればだれでも一度は見たことのあるものが大半であるが、エッセイ等の方は膨大な資料から筆者が厳選したと思われる、とても印象的で気の利いたものばかりである。このエッセイ部門が本書に至高の資料的価値を与えているのは間違いなく、本書をもって「原節子写真集」の最高峰かも知れない。
  彼女の出演作でフィルムが現存する最古の映画作品は「河内山宗俊」(1936年日活)で監督は山中貞雄。山中はその2年後に出征して中支であえなく戦病死。山中と親友だった小津安二郎もそのころ中支を転戦していたがなんとか生きて帰ることができた。その小津が「河内山宗俊」で原を見初めて、自作への出演を構想して戦後の「晩春」で結実するのも有名なお話。今頃原節子さんは山中、小津、成瀬監督たちと天国で再会して旧交を温めているのでしょう。

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