2016年6月27日月曜日

6月27日BS-TBS・にっぽん歴史鑑定「日本の警察はどもようして生まれたのか」 現在全国に約26万人いる警察官。 現在のような組織となったのは、今からおよそ150年前の明治時代。 悪化していく東京の治安をどう守るか。  その解決を託された西郷隆盛は川路利良(1834〜1879)に首都治安を任せる。警視庁創設に伴い満40歳で初代大警視(後の警視総監)に就任 (この年齢は現在でも史上最年少)。執務終了後ほぼ毎日、自ら東京中の警察署、派出所を巡視して回り、一日の睡眠は4時間に満たなかったという。川路は後に「警察の父」と呼ばれた。 維新後全国各地で起こる反乱士族の暴動。恩人西郷が鹿児島に帰郷する。西郷隆盛が下野すると薩摩出身者の多くが従ったが、川路は「私情においてはまことに忍びないが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。大義の前には私情を捨ててあくまで警察に献身する」と表明した。川路が下した決断とは警視庁抜刀隊を率い西郷軍を鎮圧する事であった。 川路は警察の創世に命をかけ遂に現役警察間のまま病死する。

6月27日BS-TBS・にっぽん歴史鑑定「日本の警察はどもようして生まれたのか」
現在全国に約26万人いる警察官。 現在のような組織となったのは、今からおよそ150年前の明治時代。 悪化していく東京の治安をどう守るか。 
その解決を託された西郷隆盛は川路利良(1834〜1879)に首都治安を任せる。警視庁創設に伴い満40歳で初代大警視(後の警視総監)に就任 (この年齢は現在でも史上最年少)。執務終了後ほぼ毎日、自ら東京中の警察署、派出所を巡視して回り、一日の睡眠は4時間に満たなかったという。川路は後に「警察の父」と呼ばれた。
維新後全国各地で起こる反乱士族の暴動。恩人西郷が鹿児島に帰郷する。西郷隆盛が下野すると薩摩出身者の多くが従ったが、川路は「私情においてはまことに忍びないが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。大義の前には私情を捨ててあくまで警察に献身する」と表明した。川路が下した決断とは警視庁抜刀隊を率い西郷軍を鎮圧する事であった。
川路は警察の創世に命をかけ遂に現役警察間のまま病死する。

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