2016年6月30日木曜日

甲州街道の謎。

6月30日BS日テレ「歴史捜査・街道捜査・甲州街道の謎」を見る。
甲州街道こそ家康の生命線。江戸城防衛のために家康が仕掛けた秘策を歴史捜査する。
半蔵門をスタートし、甲府を経て下諏訪まで続くのが甲州街道だ。
半蔵門を出て四谷御門から内藤新宿に続く。街道に埋もれている知られざる歴史を発掘すべく、新捜査員 片岡信和が甲州街道を徹底捜査する。甲州街道は、日本橋から全国に伸びる五街道で唯一、江戸城半蔵門に通じる街道である。
実はそこには、徳川家康が計画した江戸城防衛計画が隠されていた。一つ目の宿場町、内藤新宿で捜査するのは、今も地名に面影が残る家康の鉄砲百人組。2年に1度の鉄砲組百人隊の奉納出陣が行われる。江戸時代、徳川将軍家を護る鉄砲隊が新宿区百人町に定住しており、現在の地名の由来にもなった。出発地の皆中稲荷神社は、漢字の意味を考えると、「すべて当たる」という意味にとれることから、「狙ったところを必ず撃てる」と鉄砲組に大変信仰された神社だ。
武蔵国の国府が置かれた府中宿は、甲州街道のみならず様々な街道が交わる地。
家康にとって、府中は軍事的に重要な土地だった。家康は府中に馬場を寄進した。そして江戸時代には主要な宿場町として、また近在の物資の集散地として発展する。
多摩川には橋を掛けなかった。それは江戸防衛ラインであった。
東京都内で唯一、当時のままの本陣が残る日野宿では、幕末、江戸幕府に忠誠を誓った「新選組」が誕生した土地である。

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