2016年6月10日金曜日

6月10日NHK歴史秘話ヒストリア「幕末のヒーロー新選組」を見る。 「武士乃(もののふの)節を尽くして厭くまでも貫く竹の心一筋 永倉新八」 京都を護衛した新撰組ではあるが、鳥羽伏見の戦いでは銃、大砲の合戦であった。やがて新撰組は敗北する。 私たちが知る「新選組」のイメージの大本となっているのが『浪士文久報国記事』という史料だ。これを書いた永倉新八(1839〜1915)だ。永倉は「新選組」の中で最強といわれ、大正時代まで生き残った数少ない元隊士の一人であった。なぜ永倉は仲間たちの姿をこの手記に書き記したのか。 そこには、明治維新後あまたの汚名を着せられた「新選組」の真実を世に伝え、名誉を回復したいと奮闘した知られざるドラマがあったのだ。 「新選組」のすべてに立ち会い、生き残った永倉。その白刃の中での仲間との青春と友情、鎮魂の物語であった。そして念願の慰霊碑を建立する。 2016年4月29日から京都・霊山歴史館にて土方歳三の愛刀のひとつ、「大和守源秀國」が一般公開された。

6月10日NHK歴史秘話ヒストリア「幕末のヒーロー新選組」を見る。
「武士乃(もののふの)節を尽くして厭くまでも貫く竹の心一筋     永倉新八」
京都を護衛した新撰組ではあるが、鳥羽伏見の戦いでは銃、大砲の合戦であった。やがて新撰組は敗北する。
私たちが知る「新選組」のイメージの大本となっているのが『浪士文久報国記事』という史料だ。これを書いた永倉新八(1839〜1915)だ。永倉は「新選組」の中で最強といわれ、大正時代まで生き残った数少ない元隊士の一人であった。なぜ永倉は仲間たちの姿をこの手記に書き記したのか。 そこには、明治維新後あまたの汚名を着せられた「新選組」の真実を世に伝え、名誉を回復したいと奮闘した知られざるドラマがあったのだ。
「新選組」のすべてに立ち会い、生き残った永倉。その白刃の中での仲間との青春と友情、鎮魂の物語であった。そして念願の慰霊碑を建立する。
2016年4月29日から京都・霊山歴史館にて土方歳三の愛刀のひとつ、「大和守源秀國」が一般公開された。

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