2016年8月5日金曜日

○崇徳上皇は800年以上長く妖怪大魔王として恐れられていた。 驚くなかれ崇徳上皇は最近サッカーや野球等球技の神様として崇められるようになった。 ▼京都市の西陣地区に、修学旅行生らが次々と鳥居をくぐる神社がある。白峯神宮だ。12世紀の 保元の乱に敗れ四国讃岐に流された崇徳上皇をまつる。配流先で生を終え、その恨みから死後「大魔王」となったともされる上皇のもとを、中高生らが続々訪ねるのはなぜなのか。 ▼1968年、朝廷は崇徳上皇の神霊を京都に迎え、官幣大社として白峯神宮を創建する。これは、戊辰戦争において上皇が幕府軍に味方することを恐れての事と言われている。 ▼幕末の孝明天皇と跡を継いだ明治天皇の意向で、上皇のみ霊は700年余りを経て、京都へ移された。落ち着き先が蹴鞠(けまり)の宗家、飛鳥井家の邸宅跡である。この地には元来、鞠の守護神の小社が建立されていた。そんな由来から、今も全国の球技の選手たちが技の上達や勝利を祈り、ボールを納め絵馬に願いを込めている。 ▼国際オリンピック委員会(IOC)が、4年後の東京五輪の追加種目で野球とソフトボールを認めた。多くの人にとって心や体の一部となっているような競技である。ソフトはかつて壮絶な戦いを制し金メダルに輝いた。喜びをまた味わいたい。野球は日本ハムの二刀流、大谷選手らが中軸となり頂点を目指すことだろう。 ▼飛鳥井家が祖とあおぐ藤原成通は「鞠の精」からこんな託宣を受けている。「蹴鞠が盛んな時、国は栄え、人の命長く、病なし」。理由は「人の心は常に乱れるものだが、競技中は無心となり、従ってよい縁起が生まれる」からだという。効用は古来、知られていた。テロや凄惨な事件の重い空気を鞠の功徳ではらいたい。

○崇徳上皇は800年以上長く妖怪大魔王として恐れられていた。
驚くなかれ崇徳上皇は最近サッカーや野球等球技の神様として崇められるようになった。
▼京都市の西陣地区に、修学旅行生らが次々と鳥居をくぐる神社がある。白峯神宮だ。12世紀の 保元の乱に敗れ四国讃岐に流された崇徳上皇をまつる。配流先で生を終え、その恨みから死後「大魔王」となったともされる上皇のもとを、中高生らが続々訪ねるのはなぜなのか。
▼1968年、朝廷は崇徳上皇の神霊を京都に迎え、官幣大社として白峯神宮を創建する。これは、戊辰戦争において上皇が幕府軍に味方することを恐れての事と言われている。
▼幕末の孝明天皇と跡を継いだ明治天皇の意向で、上皇のみ霊は700年余りを経て、京都へ移された。落ち着き先が蹴鞠(けまり)の宗家、飛鳥井家の邸宅跡である。この地には元来、鞠の守護神の小社が建立されていた。そんな由来から、今も全国の球技の選手たちが技の上達や勝利を祈り、ボールを納め絵馬に願いを込めている。
▼国際オリンピック委員会(IOC)が、4年後の東京五輪の追加種目で野球とソフトボールを認めた。多くの人にとって心や体の一部となっているような競技である。ソフトはかつて壮絶な戦いを制し金メダルに輝いた。喜びをまた味わいたい。野球は日本ハムの二刀流、大谷選手らが中軸となり頂点を目指すことだろう。
▼飛鳥井家が祖とあおぐ藤原成通は「鞠の精」からこんな託宣を受けている。「蹴鞠が盛んな時、国は栄え、人の命長く、病なし」。理由は「人の心は常に乱れるものだが、競技中は無心となり、従ってよい縁起が生まれる」からだという。効用は古来、知られていた。テロや凄惨な事件の重い空気を鞠の功徳ではらいたい。

0 件のコメント: