2016年5月11日水曜日

5月10日NHK先人たちの底力知恵泉「大冒険を成功させるには?明治の探検家 大谷光瑞」を見る ○明治時代はるかシルクロードを旅した日本の三蔵法師ともいうべき人物がいる。西本願寺の僧侶、大谷光瑞(1876〜1948)である。 ○当時、吹き荒れていた廃仏毀釈などで仏教が衰退する中、大谷は大陸で原始仏教の宝物やルーツを探りだし復興につなげようと考えた。探検隊はロンドンから中央アジア、インドへ。しかしその旅は世界の屋根といわれた極寒の高所や灼熱の砂漠を行く過酷な旅であった。浄土真宗僧侶を集めた素人の探検隊は危機の連続。いかにして困難を克服したのか。 それは日記を書く。マニュアルを作る事だった。 大谷光瑞自ら行った探検は(1902年 - 1904年)だ。ロンドン留学中の光瑞自身が赴き、本多恵隆・井上円弘・渡辺哲信・堀賢雄の4名が同行した。光瑞はカシュガル滞在後インドに向かい、1903年(明治36年)1月14日に、長らく謎の地の山であった霊鷲山を発見し、また、マガダ国の首都王舎城を特定した。渡辺・堀は分かれてタクラマカン砂漠に入り、ホータン・クチャなどを調査した。 ○第二次、第三次探検には大谷光瑞自ら行かなかった。しかし日記を書く。マニュアルを持たせる。電報を打たせる等実施させた。そして大谷光瑞は詳細な指示を出した。

5月10日NHK先人たちの底力知恵泉「大冒険を成功させるには?明治の探検家 大谷光瑞」を見る
○明治時代はるかシルクロードを旅した日本の三蔵法師ともいうべき人物がいる。西本願寺の僧侶、大谷光瑞(1876〜1948)である。
○当時、吹き荒れていた廃仏毀釈などで仏教が衰退する中、大谷は大陸で原始仏教の宝物やルーツを探りだし復興につなげようと考えた。探検隊はロンドンから中央アジア、インドへ。しかしその旅は世界の屋根といわれた極寒の高所や灼熱の砂漠を行く過酷な旅であった。浄土真宗僧侶を集めた素人の探検隊は危機の連続。いかにして困難を克服したのか。
それは日記を書く。マニュアルを作る事だった。
大谷光瑞自ら行った探検は(1902年 - 1904年)だ。ロンドン留学中の光瑞自身が赴き、本多恵隆・井上円弘・渡辺哲信・堀賢雄の4名が同行した。光瑞はカシュガル滞在後インドに向かい、1903年(明治36年)1月14日に、長らく謎の地の山であった霊鷲山を発見し、また、マガダ国の首都王舎城を特定した。渡辺・堀は分かれてタクラマカン砂漠に入り、ホータン・クチャなどを調査した。
○第二次、第三次探検には大谷光瑞自ら行かなかった。しかし日記を書く。マニュアルを持たせる。電報を打たせる等実施させた。そして大谷光瑞は詳細な指示を出した。




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