2016年5月22日日曜日

5月22日日曜美術館」大地が育てた写真ブラジル移民大原治雄」を見る 大原治雄(1909〜1999)が、高知県から農業移民として一家でブラジルに渡ったのは昭和2(1927)年、17歳のときであった。家族や仲間と密林を切り拓いて手に入れたパラナ州ロンドリーナの広大な農場で働きながら、最愛の女性「幸」にめぐりあい、ふたりで9人の子どもを育てあげ大学にも全員を通わせた。妻に先立たれたのちも一度も帰国することなく、大家族に看取られながら89歳の生涯を静かに終えた。 大原は故郷高知を深く思い、ブラジルの土になった。 大原治雄は未開のジャングルを懸命に開拓した。大地で働き、生きる喜びをとらえた写真の魅力とは労働の中の美だ。 大原はブラジルを代表する写真家の一人として高い評価を受けている。見渡す限りの原生林を必死で開拓、コーヒー農園を築くも、大寒波で壊滅状態になった。想像を絶する苦労の中で写真を撮った。「広大な農地で農具を操る自分」「花満開のコーヒーの木と娘」などの作品には、厳しい大地で生きる覚悟を決めた者にしか写せない感動がある。

5月22日日曜美術館」大地が育てた写真ブラジル移民大原治雄」を見る
大原治雄(1909〜1999)が、高知県から農業移民として一家でブラジルに渡ったのは昭和2(1927)年、17歳のときであった。家族や仲間と密林を切り拓いて手に入れたパラナ州ロンドリーナの広大な農場で働きながら、最愛の女性「幸」にめぐりあい、ふたりで9人の子どもを育てあげ大学にも全員を通わせた。妻に先立たれたのちも一度も帰国することなく、大家族に看取られながら89歳の生涯を静かに終えた。
大原は故郷高知を深く思い、ブラジルの土になった。
大原治雄は未開のジャングルを懸命に開拓した。大地で働き、生きる喜びをとらえた写真の魅力とは労働の中の美だ。
大原はブラジルを代表する写真家の一人として高い評価を受けている。見渡す限りの原生林を必死で開拓、コーヒー農園を築くも、大寒波で壊滅状態になった。想像を絶する苦労の中で写真を撮った。「広大な農地で農具を操る自分」「花満開のコーヒーの木と娘」などの作品には、厳しい大地で生きる覚悟を決めた者にしか写せない感動がある。

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