2016年5月30日月曜日

真田幸村(信繁)を愛する伝承かも知れない。正史であれば更に面白い。 ○戦国武将・真田幸村(信繁)の息子が現在の山口県周南市櫛ケ浜に漂着し、生涯を終えたことなどが記された歴史資料を、地元の櫛浜郷土史会(村井洋一会長)が見つけた。幸村を主人公にしたNHK大河ドラマ「真田丸」が放送中なだけに、「夢が膨らむ歴史ロマンを地域活性化の起爆剤に」との期待が高まっている。  真田幸村(信繁)は、信州(長野県)上田城主・真田昌幸の次男。大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将として徳川軍に打撃を与え、翌年の夏の陣で、家康を窮地に追い込んだが討ち死にした。のちに「日本一の兵(つわもの)」と称賛された。  周南市のJR櫛ケ浜駅近くの原江寺には、「幸村幸晴君夫婦之墳」と刻まれた石碑が立っている。この「幸晴」が、幸村の息子と伝わる人物だ。幸村には多くの子がいたとされるが、「幸晴」は真田家の系図には記されていない。あるいは名前を変えて世忍んだかも知れない。地元では長く、この「幸晴」について、以下のような伝説が語り継がれてきた。  大坂夏の陣で幸村が戦死し、遺児となった幸晴は乳母や家臣と共に九州をめざして大坂を船で発った。ところが、暴風雨に見舞われ櫛ケ浜に上陸。追っ手から逃れるため吉村、河村と姓を変え、栗屋地区で鍛冶(かじ)屋を営み、当地に永眠した。

真田幸村(信繁)を愛する伝承かも知れない。正史であれば更に面白い。
○戦国武将・真田幸村(信繁)の息子が現在の山口県周南市櫛ケ浜に漂着し、生涯を終えたことなどが記された歴史資料を、地元の櫛浜郷土史会(村井洋一会長)が見つけた。幸村を主人公にしたNHK大河ドラマ「真田丸」が放送中なだけに、「夢が膨らむ歴史ロマンを地域活性化の起爆剤に」との期待が高まっている。
 真田幸村(信繁)は、信州(長野県)上田城主・真田昌幸の次男。大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将として徳川軍に打撃を与え、翌年の夏の陣で、家康を窮地に追い込んだが討ち死にした。のちに「日本一の兵(つわもの)」と称賛された。
 周南市のJR櫛ケ浜駅近くの原江寺には、「幸村幸晴君夫婦之墳」と刻まれた石碑が立っている。この「幸晴」が、幸村の息子と伝わる人物だ。幸村には多くの子がいたとされるが、「幸晴」は真田家の系図には記されていない。あるいは名前を変えて世忍んだかも知れない。地元では長く、この「幸晴」について、以下のような伝説が語り継がれてきた。
 大坂夏の陣で幸村が戦死し、遺児となった幸晴は乳母や家臣と共に九州をめざして大坂を船で発った。ところが、暴風雨に見舞われ櫛ケ浜に上陸。追っ手から逃れるため吉村、河村と姓を変え、栗屋地区で鍛冶(かじ)屋を営み、当地に永眠した。



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