2016年5月13日金曜日

5月13日。千葉市美術館「吉田博展」を見に行く。 会期 2016年4月9日(土)~ 5月22日(日) 吉田博は国内より海外で有名な画家であった。イギリスのダイアナ妃も吉田博の絵を愛した。 吉田博と黒田清輝は同時代の画家だ。そして良きライバルだった。黒田清輝は政府の費用でフランスに留学した。吉田博は自分の稼いだ費用で留学した。 彼がアメリカへ行った時にはデトロイト美術館長の知遇を得てデトロイト美術館で展覧会を開催し、絵を売り1000ドルの利益を得る。 1945年8月30日ダグラス・マッカーサー元帥が専用機パターン号で厚木飛行場に着陸した。その時マッカーサー元帥は「吉田博は何処に住んでいるか。」と尋ねたと伝えられる。 事実として吉田博は占領軍総司令部(GHQ)に乗込み画家には絵を描く広いアトリエが必要だと英語で主張して屋敷の接収を撤回させた。そして彼の家はマッカーサー元帥夫人、リッジウエイ大将夫人たち高級将校夫人が集うサロンとなった。 吉田博は水彩画、油絵、木版画、墨絵もこなす多才な画家であった。 もっと評価されて良い画家であろう。 ○吉田博(明治9年~昭和25年/1876-1950)は福岡県久留米市の生まれ。京都の地で三宅克己の水彩画に感銘を受け、以来本格的な洋画修業を始めました。明治27年に上京して不同舎に入門、小山正太郎のもとで風景写生に励んで技を磨きます。明治32年には中川八郎とともに渡米、言葉もままならない異国で自作を大いに売って生活の資を得るという快挙をなし、アメリカ各地からロンドンやパリを巡って明治34年に帰国しました。以後も外遊を重ねて東西の芸術作法を見つめ、内外の風景に取材して水彩画や油彩画を発表、太平洋画会や官展を舞台に活躍を続けました。 とりわけ高山を愛し、常人の足の及ばぬ深山幽谷に分け入ることで描いた作品は、新たな視界や未知なる美を発見した驚きと喜びに満ちています。大正後期からは彫師・摺師と組んだ木版画に軸足を移し、伝統的な技術に洋画の表現を融合したかつてない精巧・清新な造形で国内外の版画愛好家を魅了し続けました。 吉田博は生涯、世界における自らの位置を考え続けた画家といってよいでしょう。その思考の跡が、湿潤な日本の風景をみずみずしく描いた水彩画であり、雄大な自然美を登山家ならではの視点からとらえた油彩画であり、浮世絵以来の技術を新解釈した木版画でした。比較的早くに評価の定まった白馬会系の絵描きたちに比し、長く埋もれてきた感のある吉田博の画業は、今の私たちにどう映るでしょうか。「絵の鬼」と呼ばれ、水彩で、油彩で、木版画で世界に挑み続けた画人の「これが日本人の洋画だ」という答えー。生誕140年を記念し、代表作に初公開の写生帖などをあわせた300点超の作品からなるこの大回顧展です。

5月13日。千葉市美術館「吉田博展」を見に行く。
会期 2016年4月9日(土)~ 5月22日(日)
吉田博は国内より海外で有名な画家であった。イギリスのダイアナ妃も吉田博の絵を愛した。
吉田博と黒田清輝は同時代の画家だ。そして良きライバルだった。黒田清輝は政府の費用でフランスに留学した。吉田博は自分の稼いだ費用で留学した。
彼がアメリカへ行った時にはデトロイト美術館長の知遇を得てデトロイト美術館で展覧会を開催し、絵を売り1000ドルの利益を得る。
1945年8月30日ダグラス・マッカーサー元帥が専用機パターン号で厚木飛行場に着陸した。その時マッカーサー元帥は「吉田博は何処に住んでいるか。」と尋ねたと伝えられる。
事実として吉田博は占領軍総司令部(GHQ)に乗込み画家には絵を描く広いアトリエが必要だと英語で主張して屋敷の接収を撤回させた。そして彼の家はマッカーサー元帥夫人、リッジウエイ大将夫人たち高級将校夫人が集うサロンとなった。
吉田博は水彩画、油絵、木版画、墨絵もこなす多才な画家であった。
もっと評価されて良い画家であろう。

○吉田博(明治9年~昭和25年/1876-1950)は福岡県久留米市の生まれ。京都の地で三宅克己の水彩画に感銘を受け、以来本格的な洋画修業を始めました。明治27年に上京して不同舎に入門、小山正太郎のもとで風景写生に励んで技を磨きます。明治32年には中川八郎とともに渡米、言葉もままならない異国で自作を大いに売って生活の資を得るという快挙をなし、アメリカ各地からロンドンやパリを巡って明治34年に帰国しました。以後も外遊を重ねて東西の芸術作法を見つめ、内外の風景に取材して水彩画や油彩画を発表、太平洋画会や官展を舞台に活躍を続けました。
とりわけ高山を愛し、常人の足の及ばぬ深山幽谷に分け入ることで描いた作品は、新たな視界や未知なる美を発見した驚きと喜びに満ちています。大正後期からは彫師・摺師と組んだ木版画に軸足を移し、伝統的な技術に洋画の表現を融合したかつてない精巧・清新な造形で国内外の版画愛好家を魅了し続けました。
吉田博は生涯、世界における自らの位置を考え続けた画家といってよいでしょう。その思考の跡が、湿潤な日本の風景をみずみずしく描いた水彩画であり、雄大な自然美を登山家ならではの視点からとらえた油彩画であり、浮世絵以来の技術を新解釈した木版画でした。比較的早くに評価の定まった白馬会系の絵描きたちに比し、長く埋もれてきた感のある吉田博の画業は、今の私たちにどう映るでしょうか。「絵の鬼」と呼ばれ、水彩で、油彩で、木版画で世界に挑み続けた画人の「これが日本人の洋画だ」という答えー。生誕140年を記念し、代表作に初公開の写生帖などをあわせた300点超の作品からなるこの大回顧展です。

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