2018年5月19日土曜日

「守城の人ー明治人柴五郎大将の生涯 村上兵衛」を読み会津武士を讃える。 ○ この本は会津武士、柴五郎の生涯について書かれた数少ない評伝である。 柴五郎(1860~ -1945)は生涯に二度「敗戦」の悲哀を味わった。10歳のとき会津落城を、そして85歳のとき陸軍の最長老として太平洋戦争の敗北を体験した。 ○柴五郎は会津藩士として戊辰戦争で所謂官軍と戦い惨憺たる敗北を喫した。後に陸軍に入隊し陸軍幼年学校、陸軍士官学校を卒業し、陸軍士官として北清事変での活躍、陸軍大将への昇進、そして太平洋戦争敗北の責任を負いの死に到る。 ○ 敗戦の際、85歳の高齢にもかかわらず、切腹して祖国に殉じようとする柴の気概は、彼の会津武士としての誇りを感じさせる。柴五郎は1945年(昭和20年)、太平洋戦争敗戦後に身辺の整理を始め9月15日に切腹を図った。柴は老齢のため果たせなかったが同年12月13日、その切腹がもとで死亡する。

「守城の人ー明治人柴五郎大将の生涯 村上兵衛」を読み会津武士を讃える。
○ この本は会津武士、柴五郎の生涯について書かれた数少ない評伝である。
柴五郎(1860~ -1945)は生涯に二度「敗戦」の悲哀を味わった。10歳のとき会津落城を、そして85歳のとき陸軍の最長老として太平洋戦争の敗北を体験した。
○柴五郎は会津藩士として戊辰戦争で所謂官軍と戦い惨憺たる敗北を喫した。後に陸軍に入隊し陸軍幼年学校、陸軍士官学校を卒業し、陸軍士官として北清事変での活躍、陸軍大将への昇進、そして太平洋戦争敗北の責任を負いの死に到る。
○ 敗戦の際、85歳の高齢にもかかわらず、切腹して祖国に殉じようとする柴の気概は、彼の会津武士としての誇りを感じさせる。柴五郎は1945年(昭和20年)、太平洋戦争敗戦後に身辺の整理を始め9月15日に切腹を図った。柴は老齢のため果たせなかったが同年12月13日、その切腹がもとで死亡する。

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