2018年5月23日水曜日

「アサヒグラフ別冊美術特集 竹久夢二」を読む。 ○ 私は最近東京ステーションギャラリーの「夢二繚乱展」を観賞したばかりであり、この本を読むと更に感慨を深くする。 ○ 竹久夢二(1884~1934 享年49歳)は野の巨匠であった。夢二は油彩、水彩、ペン画から軸物、屏風の日本画まで、数多くの絵を描いた画家であるが、洋画壇にも日本画壇にも、無縁の存在であった。 ○夢二は一時絵の本格的修行を志ざし、岡本三郎助に助言を求めたが、所謂アカデミックな美術教育は、夢二にはむしろマイナスで、自分に相応しいやり方を自分で求めるべきと諭され、自らの道を進んだ。 ○ 夢二の活躍した時代は、平和な大正デモクラシー、大正ロマンの時代と呼ばれる時代であった。その空気が夢二の作品に現れる。 ○ 竹久夢二は数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。 ○ この本にはカラー図版73点 素描(関東大震災スケッチ6点 滞欧スケッチ13点) を掲載する。

「アサヒグラフ別冊美術特集 竹久夢二」を読む。
○ 私は最近東京ステーションギャラリーの「夢二繚乱展」を観賞したばかりであり、この本を読むと更に感慨を深くする。
○ 竹久夢二(1884~1934 享年49歳)は野の巨匠であった。夢二は油彩、水彩、ペン画から軸物、屏風の日本画まで、数多くの絵を描いた画家であるが、洋画壇にも日本画壇にも、無縁の存在であった。
○夢二は一時絵の本格的修行を志ざし、岡本三郎助に助言を求めたが、所謂アカデミックな美術教育は、夢二にはむしろマイナスで、自分に相応しいやり方を自分で求めるべきと諭され、自らの道を進んだ。
○ 夢二の活躍した時代は、平和な大正デモクラシー、大正ロマンの時代と呼ばれる時代であった。その空気が夢二の作品に現れる。
○ 竹久夢二は数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。
○ この本にはカラー図版73点 素描(関東大震災スケッチ6点 滞欧スケッチ13点) を掲載する。

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