2018年5月22日火曜日

別冊太陽 ビゴーが見た世紀末ニッポン」を読む。 ○ 書名の世紀末とは19世紀末を意味している。その頃の日本は富国強兵と西欧化に懸命であった。 ○ 明治15年(1882)フランス人ジョルジュ・ビゴー(1860~1927)は海を渡り、日本にやって来た。 ○ビゴーは一時、私の家の近くの千葉市稲毛の海岸に住みアトリエを構えていた。浅間神社の油絵も描いていた。 当時の日本は不平等条約改正に向け西欧化に遅れまいとして必死になり邁進していた。慣れない西欧化には当然滑稽な事も多くあった。 またビゴーは日清戦争には従軍記者として写真、スケッチの作品を残した。 ○ 彼はその日本にビゴーは17年間滞在した。そして民衆、公家、官僚、芸者などあらゆる風俗をいきいきと活写した。 ○ ビゴーは、1896年濃尾大地震、1896年三陸大津波にも現地に赴き取材している。私は2011年3月11日の東日本大震災を想定外と言う東京電力の無責任には怒りを覚える。 ○ ビゴーは日清戦争に従軍記者として中国に赴いている。そして日本人んいは知らされいない戦争の悲惨な現場を取材している。 ○ この書は明治時代、風刺漫画家、報道画家、風景画家、写真家、ジャーナリストとして多彩な才能で日本人の姿を活写したビゴーのユーモアあふれるカラー図版多数の興味深い一冊である。

別冊太陽 ビゴーが見た世紀末ニッポン」を読む。
○ 書名の世紀末とは19世紀末を意味している。その頃の日本は富国強兵と西欧化に懸命であった。
○ 明治15年(1882)フランス人ジョルジュ・ビゴー(1860~1927)は海を渡り、日本にやって来た。
○ビゴーは一時、私の家の近くの千葉市稲毛の海岸に住みアトリエを構えていた。浅間神社の油絵も描いていた。
当時の日本は不平等条約改正に向け西欧化に遅れまいとして必死になり邁進していた。慣れない西欧化には当然滑稽な事も多くあった。
またビゴーは日清戦争には従軍記者として写真、スケッチの作品を残した。
○ 彼はその日本にビゴーは17年間滞在した。そして民衆、公家、官僚、芸者などあらゆる風俗をいきいきと活写した。
○ ビゴーは、1896年濃尾大地震、1896年三陸大津波にも現地に赴き取材している。私は2011年3月11日の東日本大震災を想定外と言う東京電力の無責任には怒りを覚える。
○ ビゴーは日清戦争に従軍記者として中国に赴いている。そして日本人んいは知らされいない戦争の悲惨な現場を取材している。
○ この書は明治時代、風刺漫画家、報道画家、風景画家、写真家、ジャーナリストとして多彩な才能で日本人の姿を活写したビゴーのユーモアあふれるカラー図版多数の興味深い一冊である。

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