絵手紙で描いた兜です。はがきサイズの絵です。
松尾芭蕉は元禄2年(1689)「奥の細道」の旅で石川県小松の多田神社を訪れます。
そこで斎藤実盛の兜を見ます。斉藤別実盛は、もと源義朝に仕えており、幼年時代の木曾義仲の命を救いました。この「きりぎりす」は今の「こおろぎ」とされています。
「むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉」
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奥の細道 小松
此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より 給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊からのほりもの金をちりばめ、 竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、 樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。
「むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉」
2016年5月8日日曜日
絵手紙で描いた兜です。はがきサイズの絵です。 松尾芭蕉は元禄2年(1689)「奥の細道」の旅で石川県小松の多田神社を訪れます。 そこで斎藤実盛の兜を見ます。斉藤別実盛は、もと源義朝に仕えており、幼年時代の木曾義仲の命を救いました。この「きりぎりす」は今の「こおろぎ」とされています。 「むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉」 ーーーーーーーー 奥の細道 小松 此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より 給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊からのほりもの金をちりばめ、 竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、 樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。 「むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉」
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