2018年8月19日日曜日

「103歳になってわかったこと 篠田桃紅」を読む。 ○ 篠田桃紅さんは2018年現在105歳で芸術活動をされている。 篠田桃紅さんは1913年日本の租借地だった関東州大連(中国東北部)に生まれる。 5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。 1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。 アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。 ○2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。また同年、5メートルを超える絵画を制作するなど、筆勢は留まることがない。 ○ この本は103歳に書かれた。その年齢とは思えないしかりとした文章、生きることに対する真摯な姿勢に心打たれるものがある。 ○ 人がどう生きるかは永遠のテーマで正解はない、そして歳を重ねると過去を見る自分の目に変化が生じるという言葉には説得力があり一気に読めるエッセイである。

「103歳になってわかったこと 篠田桃紅」を読む。
○ 篠田桃紅さんは2018年現在105歳で芸術活動をされている。
篠田桃紅さんは1913年日本の租借地だった関東州大連(中国東北部)に生まれる。
5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。
1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。
アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。
○2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。また同年、5メートルを超える絵画を制作するなど、筆勢は留まることがない。
○ この本は103歳に書かれた。その年齢とは思えないしかりとした文章、生きることに対する真摯な姿勢に心打たれるものがある。
○ 人がどう生きるかは永遠のテーマで正解はない、そして歳を重ねると過去を見る自分の目に変化が生じるという言葉には説得力があり一気に読めるエッセイである。

0 件のコメント: