「無私の日本人 磯田道史」を読む。
この本には三話が載せられているが、圧巻は、穀田屋十三郎の町起こしの話だ。他の二話は、「中根東里」、「大田垣蓮月」である。これ等も、もちろん立派な話しで感銘を受けた。
即ち、この本は、世間一般に知られていないが、人々に感動を与える生き様を過ごした人物について、作者が古文献を漁るようにして世に伝えたものである。なぜ作者はこの三人を伝えようと思ったか、それは、題名にもあるように、無私の生涯を過ごした人々だからである。
第一話は映画化された。映画名「殿、利息でござる!」である。
第一話「穀田谷十三郎」(1720 ~1777)貧しさの為に潰れそうになっている東北の仙台に近い、「吉岡」という町に住む穀田谷十三郎が、仙台藩に千両の金を貸し付けてその利子を全住民に配る仕組みを考え、それを実行に移して町おこしに成功した。
しかも、「偉業を人前で語るなと言われた子孫は、本当にそうした」ということである。ひたすら無私の心で町起こしの為に奔走する生き様に、偉さと謙虚さを感じる。
第二話「中根東里」(1694~1765)は、江戸時代中期の儒学者である。「そのささやかな生涯が、ひろく世に知られることなど、ついぞ期待していなかった。」人ではあるが、大詩人として希有絶無の天才だった人だった。ひたすら学問の真理を求める生活に徹し、悩める人や貧者に施しをしたので、自分は「環堵容膝」と言ってもよいような住まいに暮らして子供達に字を教えていた。
第三話「大田垣蓮月」(1791~1875)は明治八年まで存命していた尼さんである。蓮月は、若き日の富岡鉄斎を侍童として暮らし、鉄斎の人格形成に大きな影響を与えた。 京都でたびたび起った飢饉のときには、私財をなげうって寄付し、また自費で鴨川に丸太町橋も架けるなど、慈善活動に勤しんだ。
鳥羽伏見の戦いの後、蓮月は、西郷隆盛を諌める和歌を贈った。「あだ味方勝つも負くるも哀れなり同じ御国の人と思へば」
この本の主題でもある、無私の心に徹した生き様には頭が下がる。
著者はあとがきで、「この国には、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方とは違った、深い哲学がある。
しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。」を述べているが、私達の祖先が残してくれたそう言う美徳を忘れないようにしたい、とこの本を読んでつくづく思ったものだった。
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