「お茶をどうぞ 私の履歴書 千宗室」を読む。
私はお茶は大好きで毎日我流で頂いていますが、茶道には疎いのでこの本を読み大いに勉強になりました。
○ 千玄室(本書記述時 宗室)は千利休居士15代家元を継承し、国際的な視野で茶道文化の浸透に取り組んできた。その方が自らの歩みを振り返る書である。
○ 裏千家の家元である千玄室は、1923年に14代家元の千淡々斎の長男として京都で誕生。6歳で初めて茶を点て、跡継ぎとして厳しく育てられた玄室は、15歳の時に千家における成人の区切りとなる元服の儀式(神社仏閣での献茶)を行い、順調に跡継ぎの道を歩んでいく。
○ ところが太平洋戦争が勃発。1943年、徴兵検査を受け海軍に入隊し、戦いの場へと送り込まれる。出撃命令を待つ間、仲間たちに頼まれ出撃前の隊員たちにお茶を点て振る舞うこともあり、戦いの場での利休と同じようにお茶を点てた玄室だったが、特攻命令が下る前に転属となり終戦を迎える。
○ 京都へ戻って来た玄室は、裏千家の総本山「今日庵」で茶道を習いに来ていた米兵に同志社仕込みの流暢な英語で教える父の姿を見て言葉を失う。特攻隊員として複雑な思いを抱くが、昨日の敵が畳でお茶を飲んでいる姿に“文化の力の強さ”を実感し、日本の文化・心の詰まっている「茶道」に携わり発信していくことを決意する。
○ 千宗元は単身アメリカへ渡り茶道を広めることに。1951年、ハワイを皮切りにアメリカを転々とし、悪戦苦闘しながらも茶道、そして茶道の精神「和敬清寂」の普及に努める。
○ 1年半に渡る努力が実り、ハワイに海外支部第1号が誕生する。以後、アメリカ各地に次々と支部ができ、今では世界30数ヵ国100ヵ所ほどに拡大した。
○ 千宗元は500年の歴史を受け継ぐため、伝統を重んじつつも新たなことに挑戦し続け、茶道文化の浸透と発展に貢献してきた。
2018年8月5日日曜日
「お茶をどうぞ 私の履歴書 千宗室」を読む。 私はお茶は大好きで毎日我流で頂いていますが、茶道には疎いのでこの本を読み大いに勉強になりました。 ○ 千玄室(本書記述時 宗室)は千利休居士15代家元を継承し、国際的な視野で茶道文化の浸透に取り組んできた。その方が自らの歩みを振り返る書である。 ○ 裏千家の家元である千玄室は、1923年に14代家元の千淡々斎の長男として京都で誕生。6歳で初めて茶を点て、跡継ぎとして厳しく育てられた玄室は、15歳の時に千家における成人の区切りとなる元服の儀式(神社仏閣での献茶)を行い、順調に跡継ぎの道を歩んでいく。 ○ ところが太平洋戦争が勃発。1943年、徴兵検査を受け海軍に入隊し、戦いの場へと送り込まれる。出撃命令を待つ間、仲間たちに頼まれ出撃前の隊員たちにお茶を点て振る舞うこともあり、戦いの場での利休と同じようにお茶を点てた玄室だったが、特攻命令が下る前に転属となり終戦を迎える。 ○ 京都へ戻って来た玄室は、裏千家の総本山「今日庵」で茶道を習いに来ていた米兵に同志社仕込みの流暢な英語で教える父の姿を見て言葉を失う。特攻隊員として複雑な思いを抱くが、昨日の敵が畳でお茶を飲んでいる姿に“文化の力の強さ”を実感し、日本の文化・心の詰まっている「茶道」に携わり発信していくことを決意する。 ○ 千宗元は単身アメリカへ渡り茶道を広めることに。1951年、ハワイを皮切りにアメリカを転々とし、悪戦苦闘しながらも茶道、そして茶道の精神「和敬清寂」の普及に努める。 ○ 1年半に渡る努力が実り、ハワイに海外支部第1号が誕生する。以後、アメリカ各地に次々と支部ができ、今では世界30数ヵ国100ヵ所ほどに拡大した。 ○ 千宗元は500年の歴史を受け継ぐため、伝統を重んじつつも新たなことに挑戦し続け、茶道文化の浸透と発展に貢献してきた。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿