2018年8月31日金曜日

昨日2018年8月30日東京国立博物館「縄文一万年美の鼓動」に行きました。 数々の国宝、重要文化財を観賞しました。改めて感激を新たにしました。一日たっても縄文熱覚めやらず。 ○ 岡本太郎の言葉を伝えよう。  故岡本太郎は「芸術は爆発だ」という名言で知られる。彼は20代をパリで過ごした。帰国後、いわゆる「わび・さび」を基調とする日本の伝統美に幻滅する。自国文化への絶望から彼を救い出したのは縄文土器だった。 岡本太郎は1951年秋、東京・上野の展示会で縄文の土器や土偶と出会い、手持ちのカメラで熱心に写した。 のちに記す。芸術家・岡本太郎は縄文土器を目にした際の衝撃を雑誌『みづゑ』(1952年2月)の「四次元との対話―縄文土器論」にこう記している。 ○ 岡本太郎は長くヨーロッパに暮らした後、帰国。日本で見る「伝統」と呼ばれる「わび、さび」文化の弱々しさに失望していた。  「その私が思わずうなってしまったのは、縄文土器「《火焰型土器》(現在 国宝) 新潟県十日町市 笹山遺跡出土」等 に触れたときです。体じゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリと力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに日本、そして民族にたいしてだけではなく、もっと根源的な、人間にたいする感動と信頼感、親しみさえひしひしと感じとる思いでした。」

昨日2018年8月30日東京国立博物館「縄文一万年美の鼓動」に行きました。
数々の国宝、重要文化財を観賞しました。改めて感激を新たにしました。一日たっても縄文熱覚めやらず。
○ 岡本太郎の言葉を伝えよう。
 故岡本太郎は「芸術は爆発だ」という名言で知られる。彼は20代をパリで過ごした。帰国後、いわゆる「わび・さび」を基調とする日本の伝統美に幻滅する。自国文化への絶望から彼を救い出したのは縄文土器だった。
岡本太郎は1951年秋、東京・上野の展示会で縄文の土器や土偶と出会い、手持ちのカメラで熱心に写した。
のちに記す。芸術家・岡本太郎は縄文土器を目にした際の衝撃を雑誌『みづゑ』(1952年2月)の「四次元との対話―縄文土器論」にこう記している。
○ 岡本太郎は長くヨーロッパに暮らした後、帰国。日本で見る「伝統」と呼ばれる「わび、さび」文化の弱々しさに失望していた。
 「その私が思わずうなってしまったのは、縄文土器「《火焰型土器》(現在 国宝) 新潟県十日町市 笹山遺跡出土」等 に触れたときです。体じゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリと力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに日本、そして民族にたいしてだけではなく、もっと根源的な、人間にたいする感動と信頼感、親しみさえひしひしと感じとる思いでした。」

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