「イエスの生涯 遠藤周作」を読む。
○ 遠藤周作氏が、キリスト教信者としての立場からイエスの生涯を語る。
遠藤周作氏はこの本の冒頭に語る。「彼の容貌を私たちは見たこともない。彼の声を私たちは聞いたこともない。今から語るイエスはどんな顔をされていたのかも私たちは知らぬ。」
○ 遠藤周作氏は聖書で語られているイエスの「奇跡」の言及を極力排し、あくまで一人の人間を見る目でイエスを見つめる。
○ 遠藤周作氏は奇跡によってイエスが尊いとは言わない。イエスは『愛の伝道者』であるからこそ尊いと述べる。
○ 遠藤周作氏の語るイエス像は決して偏狭なものではなく、国家を超えた普遍的なものを持って我々に迫ってくる。最終的に現れてくるイエスは非常に単純明快な意味での『愛の伝道者』なのだ。
○ イエスは病いに苦しんでいる者は、病気などの苦しみよりも、むしろ誰からも愛されないという苦しみが根本にあると言う事を熟知していたと述べる。
○ イエスの愛は苦しむ人に深く同情し、自らが彼とともに苦しむ事によって彼の根本の苦しみから解放しようとしる愛である。
奇跡的な側面を描かない事で、このような『愛』の構造がより深く理解できる。そしてこのように描写されたイエスは、いっそう人間的な魅力を持つ人物として我々の目に映る。
○ イエスがなぜ当時のユダヤ人に全く理解されなかった。ユダには失望の感情の変遷を経た後にイエスを裏切った。イエスは彼らが望んだ奇跡を行わなかった。
彼らはダビデのような英雄でなかった。ユダヤ人をローマの支配から解放される英雄でなかった。しかしイエスは『愛の伝道者』であった。
2018年8月29日水曜日
「イエスの生涯 遠藤周作」を読む。 ○ 遠藤周作氏が、キリスト教信者としての立場からイエスの生涯を語る。 遠藤周作氏はこの本の冒頭に語る。「彼の容貌を私たちは見たこともない。彼の声を私たちは聞いたこともない。今から語るイエスはどんな顔をされていたのかも私たちは知らぬ。」 ○ 遠藤周作氏は聖書で語られているイエスの「奇跡」の言及を極力排し、あくまで一人の人間を見る目でイエスを見つめる。 ○ 遠藤周作氏は奇跡によってイエスが尊いとは言わない。イエスは『愛の伝道者』であるからこそ尊いと述べる。 ○ 遠藤周作氏の語るイエス像は決して偏狭なものではなく、国家を超えた普遍的なものを持って我々に迫ってくる。最終的に現れてくるイエスは非常に単純明快な意味での『愛の伝道者』なのだ。 ○ イエスは病いに苦しんでいる者は、病気などの苦しみよりも、むしろ誰からも愛されないという苦しみが根本にあると言う事を熟知していたと述べる。 ○ イエスの愛は苦しむ人に深く同情し、自らが彼とともに苦しむ事によって彼の根本の苦しみから解放しようとしる愛である。 奇跡的な側面を描かない事で、このような『愛』の構造がより深く理解できる。そしてこのように描写されたイエスは、いっそう人間的な魅力を持つ人物として我々の目に映る。 ○ イエスがなぜ当時のユダヤ人に全く理解されなかった。ユダには失望の感情の変遷を経た後にイエスを裏切った。イエスは彼らが望んだ奇跡を行わなかった。 彼らはダビデのような英雄でなかった。ユダヤ人をローマの支配から解放される英雄でなかった。しかしイエスは『愛の伝道者』であった。
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