「ぼくの花森安治 二井康雄」を読む。
○ この本は「暮しの手帖」愛に満ち溢れている。また初代編集長花森安治(1911~1978 享年66歳)に尊敬を語る。
○ 花森安治の言葉「ぼくは編集長である。ぼくには一本のペンがある。ぼくはデモにも加わらない。ぼくは坐りこみもしない。 ぼくには一本のペンがある。」
○ また花森安治の叱声が聞こえてきそうな、臨場感あふれるエピソードに満ち溢れている。「暮しの手帖」編集長として、確固とした生活の哲学をもち、社会へ透徹した目を向けた信念の男・花森安治を柔らかな語り口で回想する。
○ 著者は晩年の花森安治に足かけ9年、正味8年仕えた。大橋鎮子には、亡くなる寸前までのほぼ40年仕えた。
「暮しの手帖」が貫いた生活哲学と、世の中を見る目、まっとうな暮しのありようを語る。
○ どの仕事の世界にも、そこを極め、妥協を許さない完璧主義者と呼ばれる人物は多々いる。プロフェッショナルと呼ばれる人々だ。
花森安治もそんなプロフェッショナルの一人であり「商品テストをするために、時間をかけ完璧を期す」。「広告を入れない」といった編集方針もそこからくる。
○ その雑誌の編集現場で、花森安治から叱責を受けながらもプロの流儀を学んでいった筆者には、そんな花森の知的遺伝子が受け継がれている。
それは「ぼくには1本のペンがある」という花森安治の言葉を座右の銘と受け継ぐ筆者の言葉に著されている。
○ 二井康雄さん1946年、大阪生まれ。1969年、「暮しの手帖社」入社、編集部に所属。主に商品テストや環境問題関連の記事を担当。連載は藤城清治のカラーの影絵、沢木耕太郎の映画時評などを担当。
2002年より、本誌の副編集長。2004年より、本誌記事のタイトル、見出し、自社広告などの書き文字を担当。2009年7月、定年退職された。
2018年8月15日水曜日
「ぼくの花森安治 二井康雄」を読む。 ○ この本は「暮しの手帖」愛に満ち溢れている。また初代編集長花森安治(1911~1978 享年66歳)に尊敬を語る。 ○ 花森安治の言葉「ぼくは編集長である。ぼくには一本のペンがある。ぼくはデモにも加わらない。ぼくは坐りこみもしない。 ぼくには一本のペンがある。」 ○ また花森安治の叱声が聞こえてきそうな、臨場感あふれるエピソードに満ち溢れている。「暮しの手帖」編集長として、確固とした生活の哲学をもち、社会へ透徹した目を向けた信念の男・花森安治を柔らかな語り口で回想する。 ○ 著者は晩年の花森安治に足かけ9年、正味8年仕えた。大橋鎮子には、亡くなる寸前までのほぼ40年仕えた。 「暮しの手帖」が貫いた生活哲学と、世の中を見る目、まっとうな暮しのありようを語る。 ○ どの仕事の世界にも、そこを極め、妥協を許さない完璧主義者と呼ばれる人物は多々いる。プロフェッショナルと呼ばれる人々だ。 花森安治もそんなプロフェッショナルの一人であり「商品テストをするために、時間をかけ完璧を期す」。「広告を入れない」といった編集方針もそこからくる。 ○ その雑誌の編集現場で、花森安治から叱責を受けながらもプロの流儀を学んでいった筆者には、そんな花森の知的遺伝子が受け継がれている。 それは「ぼくには1本のペンがある」という花森安治の言葉を座右の銘と受け継ぐ筆者の言葉に著されている。 ○ 二井康雄さん1946年、大阪生まれ。1969年、「暮しの手帖社」入社、編集部に所属。主に商品テストや環境問題関連の記事を担当。連載は藤城清治のカラーの影絵、沢木耕太郎の映画時評などを担当。 2002年より、本誌の副編集長。2004年より、本誌記事のタイトル、見出し、自社広告などの書き文字を担当。2009年7月、定年退職された。
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