2018年8月29日水曜日

「終戦日記を読む 野坂昭如」を読む。 ○ この本は、NHK人間講座で2002年8月から9月に放送された「終戦日記を読む」のテキストをもとに単行本化したものである。 ○ 焼跡闇市派の作家野坂昭如さんが、戦後60年を機に「日本人は戦争を知らない」「戦争を伝えていない」と思い、戦争の時代を生きた者として自らの体験を後世に伝える。 ○ 著者自身の14歳時の経験(昭和20(1945)年6月5日の神戸空襲で養父との死別と養母の火傷、8月初め、1歳の妹と2人で福井市郊外へ食糧を求めて避難するも8月中旬に妹は餓死、9月初めに神戸に戻っての混乱の時代)と照らし合う形で、有名人・無名人の日記から、原爆投下、ソ連の参戦、玉音放送、戦後の引き揚げやインフレ・食糧難の記録や感想を引用する。 ○ 1945年8月5日ソ連は日ソ不可侵条約を破棄し、対日宣戦を通告した。ソ連軍は満州に侵攻する。関東軍高級将校は真っ先に飛行機で日本に逃亡する。卑怯な関東軍幹部だ。 ○ 引用される終戦日記の書き手は、著名人では内大臣の木戸幸一、作家では永井荷風、大佛次郎、高見順、中野重治等、漫談家の徳川無声がいるが、皆さん諦観して自分の関心事(国体護持、食べ物、情報、読書等)に専心している。 また当時は無名だが後に作家となる藤原てい(当時27歳、満州で気象台職員の妻、3児の母)や山田風太郎(20歳、医学生)は、先が見えない中でその日を必死に生きている。 ○ 無名人では、森脇瑤子さん(13歳、広島高女1年生)は8月6日家屋疎開の作業中に原爆に遭い即死するが、彼女の死の前日5日の日記は健気で痛々しい(著者も彼女にのみは敬称「さん」付け)。 この他、玉音放送を聴いた工員や満州からの引き揚げ者、沖縄で逃避行を続けた主婦の記録が引用される。 ○  著者の眼差しは、軍人や文化人・知識人ではなく、無名の庶民に向いている。 内地の一般人にとって、戦争は災難ではあるが空襲が始まるまではよそ事であったし、在満州の民間人にとって、8月9日あるいは15日が開戦日であった。 ○ 一方、沖縄の慰霊日は一応牛島司令官の自決した6月23日とされているが、島民にとって戦闘や逃避行は9月初めまで続いており、8月15日は何ら特別の日ではなかった。  読後、改めて20年8月15日について考えることの重要性と、一人一人の苦難の体験を語り継ぐことの大切さを痛感する。

「終戦日記を読む 野坂昭如」を読む。
○ この本は、NHK人間講座で2002年8月から9月に放送された「終戦日記を読む」のテキストをもとに単行本化したものである。
○ 焼跡闇市派の作家野坂昭如さんが、戦後60年を機に「日本人は戦争を知らない」「戦争を伝えていない」と思い、戦争の時代を生きた者として自らの体験を後世に伝える。
○ 著者自身の14歳時の経験(昭和20(1945)年6月5日の神戸空襲で養父との死別と養母の火傷、8月初め、1歳の妹と2人で福井市郊外へ食糧を求めて避難するも8月中旬に妹は餓死、9月初めに神戸に戻っての混乱の時代)と照らし合う形で、有名人・無名人の日記から、原爆投下、ソ連の参戦、玉音放送、戦後の引き揚げやインフレ・食糧難の記録や感想を引用する。
○ 1945年8月5日ソ連は日ソ不可侵条約を破棄し、対日宣戦を通告した。ソ連軍は満州に侵攻する。関東軍高級将校は真っ先に飛行機で日本に逃亡する。卑怯な関東軍幹部だ。
○ 引用される終戦日記の書き手は、著名人では内大臣の木戸幸一、作家では永井荷風、大佛次郎、高見順、中野重治等、漫談家の徳川無声がいるが、皆さん諦観して自分の関心事(国体護持、食べ物、情報、読書等)に専心している。
また当時は無名だが後に作家となる藤原てい(当時27歳、満州で気象台職員の妻、3児の母)や山田風太郎(20歳、医学生)は、先が見えない中でその日を必死に生きている。
○ 無名人では、森脇瑤子さん(13歳、広島高女1年生)は8月6日家屋疎開の作業中に原爆に遭い即死するが、彼女の死の前日5日の日記は健気で痛々しい(著者も彼女にのみは敬称「さん」付け)。
この他、玉音放送を聴いた工員や満州からの引き揚げ者、沖縄で逃避行を続けた主婦の記録が引用される。
○  著者の眼差しは、軍人や文化人・知識人ではなく、無名の庶民に向いている。
内地の一般人にとって、戦争は災難ではあるが空襲が始まるまではよそ事であったし、在満州の民間人にとって、8月9日あるいは15日が開戦日であった。
○ 一方、沖縄の慰霊日は一応牛島司令官の自決した6月23日とされているが、島民にとって戦闘や逃避行は9月初めまで続いており、8月15日は何ら特別の日ではなかった。
 読後、改めて20年8月15日について考えることの重要性と、一人一人の苦難の体験を語り継ぐことの大切さを痛感する。

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