8月26日NHK日曜美術館「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」を見る。
○ 昭和17年23歳の画学生が大作を描いて卒業、2年後に戦死。東京美術学校図案科の久保克彦である。彼が遺した7メートル超の大作「図案対象」は今何を語りかけてくるのか。
おろかな文明、人間。進歩の果ての破滅。彼が描いたのは、ささやかな抵抗か、それとも諦観か。
○ 東京芸術大学に一つの巨大な卒業作品が遺(のこ)されている。幅7メートル超の絵画「図案対象」。作者は久保克彦(1918~1944)。昭和17年23歳で東京美術学校卒業、2年後中国大陸で戦死した。
描かれた大作は、戦時下とは思えない現代絵画を先取りした前衛芸術的な表現に満ちていた。久保は戦死する命運を担いながら美の探究の総括として描いたのである。久保の大作は今何を語りかけてくるのか。戦争を実感できない、若い世代も参加して読み解いていく。
○ 湖北省の山稜に、1発の銃声が響いた。狙撃の弾は、最後尾を歩いていた若い見習士官の側頭部をうちぬいた。久保克彦、24歳。美校工芸科図案部卒業。1944年(昭和19年)7月18日、彼が大陸に転属となってわずか3ヵ月、3度目の交戦のときだった。
○ 太平洋戦争が始まった1941年12月、修業年限を3ヵ月短縮した卒業式が行われた。翌42年9月には、さらに6ヵ月を短縮した卒業式が行われる。久保は、その時の卒業生の1人だった。卒業と同時に即召集、彼らには10日後の入営が待っていた。いま教室にならんでいる学生さんたちと同じ顔の若者たちが、戦争へとかり出されていったのだ。
○ 他国まで行って、なぜ他国の人を殺すのか。なぜ人は殺しあうのか。そしてなぜ自分は死ななければならないのか。敵機が火をふいて落ちていく彼の卒業制作には、背後に人力飛行機やヨット、鶴、昆虫、輸送船、スクリューなどが、ごちゃまぜにシュールに描かれている。それは彼の心の葛藤であった。
2018年8月26日日曜日
8月26日NHK日曜美術館「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」を見る。 ○ 昭和17年23歳の画学生が大作を描いて卒業、2年後に戦死。東京美術学校図案科の久保克彦である。彼が遺した7メートル超の大作「図案対象」は今何を語りかけてくるのか。 おろかな文明、人間。進歩の果ての破滅。彼が描いたのは、ささやかな抵抗か、それとも諦観か。 ○ 東京芸術大学に一つの巨大な卒業作品が遺(のこ)されている。幅7メートル超の絵画「図案対象」。作者は久保克彦(1918~1944)。昭和17年23歳で東京美術学校卒業、2年後中国大陸で戦死した。 描かれた大作は、戦時下とは思えない現代絵画を先取りした前衛芸術的な表現に満ちていた。久保は戦死する命運を担いながら美の探究の総括として描いたのである。久保の大作は今何を語りかけてくるのか。戦争を実感できない、若い世代も参加して読み解いていく。 ○ 湖北省の山稜に、1発の銃声が響いた。狙撃の弾は、最後尾を歩いていた若い見習士官の側頭部をうちぬいた。久保克彦、24歳。美校工芸科図案部卒業。1944年(昭和19年)7月18日、彼が大陸に転属となってわずか3ヵ月、3度目の交戦のときだった。 ○ 太平洋戦争が始まった1941年12月、修業年限を3ヵ月短縮した卒業式が行われた。翌42年9月には、さらに6ヵ月を短縮した卒業式が行われる。久保は、その時の卒業生の1人だった。卒業と同時に即召集、彼らには10日後の入営が待っていた。いま教室にならんでいる学生さんたちと同じ顔の若者たちが、戦争へとかり出されていったのだ。 ○ 他国まで行って、なぜ他国の人を殺すのか。なぜ人は殺しあうのか。そしてなぜ自分は死ななければならないのか。敵機が火をふいて落ちていく彼の卒業制作には、背後に人力飛行機やヨット、鶴、昆虫、輸送船、スクリューなどが、ごちゃまぜにシュールに描かれている。それは彼の心の葛藤であった。
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