5月4日BS朝日「昭和偉人伝。菅原文太」見る。
菅原文太(1933〜2014 )は器用な俳優ではない。脇役でいてもどこか光る俳優だった。言うなれば。「一隅を照らす」俳優だった。如何にも東北地方生まれの素朴さがあった俳優だった。
菅原文太は無名時代、2歳違いの俳優・高倉健の影に隠れ、脇役に甘んじていた。しかし高倉健と言う尊敬するライバルがあったこそ菅原文太は良い俳優になった。そして「仁義なき戦い」が生まれた。個性豊かな男たちが菅原の情熱の下、ひとつにまとまって映画はヒットした。
その後ヤクザ映画の殻を破るため「トラック野郎」の主役として出演した。
さらに、菅原文太を襲った試練、長男の事故死。父と同じ俳優として活躍し始めた長男・加織(かおる)の突然の死は、菅原文太の人生観を大きく変えることになる。悲しみを乗り越えて、晩年・菅原が世に問うたものは我慢、辛抱、人に思いやり、反体制、反権力だった。最後には「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」の悟りを得たようである。
2016年5月5日木曜日
5月4日BS朝日「昭和偉人伝。菅原文太」見る。 菅原文太(1933〜2014 )は器用な俳優ではない。脇役でいてもどこか光る俳優だった。言うなれば。「一隅を照らす」俳優だった。如何にも東北地方生まれの素朴さがあった俳優だった。 菅原文太は無名時代、2歳違いの俳優・高倉健の影に隠れ、脇役に甘んじていた。しかし高倉健と言う尊敬するライバルがあったこそ菅原文太は良い俳優になった。そして「仁義なき戦い」が生まれた。個性豊かな男たちが菅原の情熱の下、ひとつにまとまって映画はヒットした。 その後ヤクザ映画の殻を破るため「トラック野郎」の主役として出演した。 さらに、菅原文太を襲った試練、長男の事故死。父と同じ俳優として活躍し始めた長男・加織(かおる)の突然の死は、菅原文太の人生観を大きく変えることになる。悲しみを乗り越えて、晩年・菅原が世に問うたものは我慢、辛抱、人に思いやり、反体制、反権力だった。最後には「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。」の悟りを得たようである。
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